【酒井順子さん×麻布競馬場さん『消費される階級』刊行記念特別対談 】〝みんな平等、みんな違っていい″は受け入れられているかー無数で多様な格差の取り扱い方
自分もどこかで「下に見る」側に立っている
酒井 とはいえ、生きていればずっとそのままではいられないのも現実です。人が二人いれば、そこには上とか下とかの違いが生まれてしまう。「自分は下にいた」と気づくのもつらいですが、「誰かを下に見ていた」と気づくのもなかなかショックですよね。 麻布 でもきっと、気づくことから始まるんじゃないかと僕は思います。『消費される階級』に書かれていることって、今は誰も見ず、言わず、触らずで気づかないふりをしている現実ばかりじゃないですか。無理やり透明化させている事実に向き合って、重い腰を上げて、議論のきっかけをつくることが大事なんじゃないかなというのが、今日これだけ酒井さんと話して得られた収穫です。他人と議論するのにためらうのなら、自問自答するでもいいと思いますし。 酒井 そうですね。私たちは日常のいろいろな瞬間で「上に見たり、下に見たり」を繰り返しているわけですが、特に「誰かを下に見ている自分」、つまり、差別する側に立っている自分を自覚したときの戸惑いは表明しづらいものです。でも、これだけ世の中に格差の問題があるということは、やっぱり自分もどこかで「下に見る」側に立っている可能性を無視しない必要があるのかなと思います。 麻布 上下どちらの立場もあって、一人の人間はバランスを取ろうとしているのかもしれないですね。 酒井 誰しもそうですよね。もっというと、清少納言や紫式部のような今に伝わる平安時代の作家は、「上の下」クラスのB級お嬢様だったんです。トップ・オブ・トップではなく、中途半端な位置。上も下も見られるから、あれだけの人間模様が描けたはず。 麻布 なるほど。そう言われてみれば、僕も慶応に入って衝撃を受けたんですよね。苦学生から幼稚舎育ちの内部生まで、ものすごい差のグラデーションの渦に巻き込まれて。 僕はそこで上にも下にもいけない孤独な漂流者だったんですが、コンプレックスを抱いたというより、図鑑におさめる昆虫採集をするかのごとく観察に徹底するスタンスで面白がれたんですよね。自分は悲しき中流だと思っていましたが、実は平安作家もそうだったのかもと知って、少し救われました(笑)。 酒井 『令和元年の人生ゲーム』で重要な役割を果たしている沼田のキャラクターも「観察者」ですが、彼の姿は、三島由紀夫の最後の作品『豊饒の海』四部作で「観察者」の役割を引き受けている本多を思い起こさせました。 沼田にしても本多にしても、物語における「観察者」役って、たいてい内向的で不幸ですけど、今日、麻布さんにお会いしたら、明るくてコミュニケーション能力が高いことにびっくり。外交的観察者って、とても新しい存在だと思います。集団の端っこから不完全な滑稽さを眺めることによって、自分も含めて笑うことができるのかも。 麻布 ああ、なんだか道筋が見えてきました。僕からすると酒井さんは「天上人」のような文芸界の大先輩で、実はお会いするまで「どれだけ怖い方なんだろう」と震えて緊張していたんです(笑)。じっくりお話しできて、ずいぶん視界が明るくなった気がします。 明快な答えがなくても、扱いづらいテーマに向き合おうとする。こういう対話が大事なんだなとあらためて分かる時間でした。ありがとうございました。 酒井 こちらこそ刺激的で楽しい時間でした。麻布さんの次の作品も楽しみにしています。
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