【酒井順子さん×麻布競馬場さん『消費される階級』刊行記念特別対談 】〝みんな平等、みんな違っていい″は受け入れられているかー無数で多様な格差の取り扱い方
コミュニケーションを避けるほうがコスパがいい
麻布 自分より「上の人」を見たところで壁を打ち壊せるわけじゃないし、「下の人」を見て優越感に浸れるかというと、そこに潜む背景や事情を想像すれば単純には笑えない。かといって、対話ができるかというと、やっぱり持っている固有名詞が違うから話も合わない。なんなら、一緒に飲みに行く店探しから気を遣うから面倒くさくなって。結局は、やっぱり似た者同士で集まるのが〝最適解″になるのではないでしょうか。 酒井 ここ10年くらいで急速に「コンプライアンス」やポリコレに対する意識が高まってきて、昔だったら気にせず発していた言葉が言えなくなったりしている流れがありますよね。でも、だからといって人間の本質はそう急には変わらないから、「あの人と私は違う」と上や下に見る感情は存在しているはずなんです。表に出せなければ、水面下に潜るだけだと思うのですが、今の若者たちはそうした感情をどう処理しているのでしょうか。 麻布 「触らないようにする」という方法をとる人がほとんどだと思います。たとえば大学の友達が単位取得に苦しんでいたとして、「お前、普通に授業に出て、ちゃんと課題も出せよ」と言えるかというと言えないですよね。だって、何か生まれながらの体質や経済的な事情があるかもしれないから。 間違っても「頑張れ」とは言えない。だから、黙るしかない。何かできるとしたら「大変だよね」と寄り添うか、大学側に「彼にはこういう事情があって」と代わりに説明して介助をつなぐか。でも、そこまでする義理もないから、最終的には「触らない」に行き着くのが大半になる。コミュニケーションを避けるほうがコスパがいいからです。 酒井 そういう感覚ですか! それでまた同質化が進みそうですね。余計なお節介ができなくないとなると、ますます事情をよく知っている仲間とだけといることになる。 麻布 差を乗り越えようとしないから、当たり障りのないコミュニケーションしかできないんですよね。僕の周りを見回しても、「痛みを伴うコミュニケーションはパートナー(恋人や配偶者)としかできない」と言っている人は多くて。 友達同士ではやさしい声かけくらいしかしない。でも、それも彼らなりの心の守り方なんですよ。 酒井 パートナーっていっても、相当信頼できると確信できる相手じゃないと本音は吐露できないでしょうね。3ヶ月後に別れそうな相手だとなかなか……。 麻布 インスタでも「親しい相手限定」で表示する機能を使って投稿を分けている人、結構いますね。つまり、「親しい人にしか見せられない自分」を明確に持っていて、そこではわりと熱くて過激な発言もするんですよ。 「俺はこんなに頑張っているのにあいつは」って、サークルのメンバーをディスったり。切磋琢磨する姿でさえ、オープンにできない窮屈さがある気がします。 酒井 そういう感覚って、きっと若い方ほど敏感だと思います。となると、その手の感覚が異なる上や下の世代との付き合い方も簡単ではなさそうですね。 麻布 同世代との付き合いでさえ難しいので、異世代となるともう大変過ぎますよね。