【酒井順子さん×麻布競馬場さん『消費される階級』刊行記念特別対談 】〝みんな平等、みんな違っていい″は受け入れられているかー無数で多様な格差の取り扱い方
書きづらいからこそ、小説にしている
酒井 麻布さんの作品の場合は、日本の小説には珍しく、実在する大学や企業がほぼそれだと分かる形でバンバン出てきますから、風景が現実のように迫ってきます。麻布さんがどういう狙いで、こういった物語を書いているのか、ずっと聞いてみたかったんです。書きづらくはなかったですか? 麻布 書きづらいからこそ、小説にしているのかもしれないですね。つまり、「階級をめぐる言説の難しさ」をフィクションという手法によって解決している。僕はこの難しさの根底には、「苦しみの表明しづらさ」があると思っているんです。 たとえば、『この部屋から~』に出てくる人物たちは、地方出身ですがそれなりに裕福な家で育ち、親からお金を出してもらって予備校にも行き、いい大学に入り、それなりにいい会社に就職した先で、「上には上がいるんだな」と気づいて、ちょっとした苦しみを抱えているような人たちです。 それは本人からすると確かに存在する苦しみなんですけれど、世の中からは「お前は恵まれているんだから、弱者の模倣をするんじゃない」と批判される。一言で言えば、「お前、黙れ」という圧力ですよね。 でも僕は、一見満たされている人の中にも苦しみが存在するのは嘘じゃないと思うし、それを無理やり透明にされるのは間違っているんじゃないかなと。なので、彼ら彼女らの豊かさのリアリティも含めて、濃淡はあれど誰もが抱えている苦しみを描きたいという気持ちは常にあります。 ただ、そこに直接触れる勇気はないから、「小説」というフォーマットに逃げていたんですけれど、酒井さんはご自身の視点でド直球に書いている。いや、あらためてすごい重みです。 酒井 私は、デビュー当時の40年近く前から同じようなことを書いているので、これが平常運転なんですよね。麻布さんがご出身の慶応のカルチャーについても、昔は泉麻人さんや田中康夫さんが『POPEYE』などで面白おかしく書いていて、「慶応の内部生と外部生の格差って、つらそう。アハハ」と笑っていたんですよ、当時は。 今は、同じ格差は存在し続けていても、笑いのニュアンスで書くことはできなくなっていますが、それを麻布さんは現代の苦しみの一つとして表現したという点が私にとっては驚きでした。 麻布 うーん、どうしてもムードが暗くなってしまうんですよね。僕も泉麻人さんの本は好きで読んでいましたが、あの頃に描かれていた「完璧な慶応ボーイ」みたいな人物って今は存在していない気がして。 昔から「勝者に対しては石を投げていい」という暗黙の了解がありますが、30年前くらいのテレビや巷での〝高学歴いじり″って、対象が圧倒的勝者であるという前提があったと思うんです。 「相手は強いから、多少石を投げても笑って許してくれるだろう」と鬱憤を晴らすみたいな感覚。でも、今は「高学歴という結果は本人の努力だけではない巡り合わせによって得られるものであり、裏を返せば、学歴を得られなかった人が努力をしなかったわけではない」という認識が広がってきたから、高学歴いじりはタブーになりつつある。石を投げる人にも、投げられる人にも余裕がなくなっているというか。 酒井 勝者が強者であるとは限らないわけですね。慶応生の中にもつらさを抱える人はいるのだと伝える物語に対して、反論はなかったですか。「そうは言っても、慶応じゃん」みたいな。 麻布 いろんなところから〝怒りの声″が届きました(笑)。地方在住の人からは「地方の状況はもっと過酷だ」と怒られ、東京人からは「東京を港区だけで語らないでほしい」と怒られ、慶大の教授を名乗る人からは「うちのゼミ生はこんなにおちゃらけていませんッ」と怒られ(笑)。 たしかに慶応生を一括りにできないのは事実なんですよね。以前よりも、ある特定の階級について一人の人物に語らせることは難しくなっているのでしょうね。ある特定の階級パッケージの中はものすごく細分化されているのに、周りから一緒くたにされて石を投げられる。そこに苦しみを感じる人の声も可視化されやすくなったというか。 酒井さんは、今の社会に存在するさまざまな「差」をこれでもかとあぶり出していらっしゃる点で「えげつないな」とリスペクトするわけですが、一方で、この「差」がすれ違いにくくなっている気もするんです。 酒井 すれ違いにくくなっている、というと? 麻布 本来、社会は多様な属性や背景の人たちの集合体だと思うのですが、自分と似たような人たちとばかり会って、一緒に過ごしている。 自分自身を振り返っても、出身や所得、職業観、性的志向……だいたい同じような属性の人たちとしか会っていないなぁと。たとえば、僕が住んでいるマンションも、高所得の人ばかり住んでいるから、ゴミ置き場に(高級ワインの)「オーパスワン」とかしょっちゅう転がっているんです。 会社に行ったら行ったで、同じような学歴の人たちが揃っているから「世間はこういう感じだ」と勘違いしちゃうんですよね。実はものすごく小さな泡の中に閉じこもっていることに無自覚になりがちで、「階級の差」を意識することなく暮らせてしまう。だからこそ、変な摩擦を生じずに日常生活を過ごせるし、〝非日常″であるインターネットは炎上するのではと。 酒井 その辺りは、昔と今とあまり変わらないのかもしれない。私の時代は女子の大学進学率は15%ほどでしたが、大学時代のある女友達は、ほとんどの女子は大学に行くものだと思っていました。 自分が付属からするっと大学進学して、同じような人ばかりと付き合っているので、世の中も皆そうだと思っていたわけです。ただ、我々の代はネットがなかったので、〝泡″の中でだけ安寧に過ごしていて、炎上することがなかった。 麻布 インターネットの中で絶えずケンカが起きるのは、「小さな泡の入り混じり」が原因だと僕は思うんです。 酒井 同質性の高い付き合いというのは、属性が異なる人への想像力を持つ必要もなく、ある意味で平和の遠因になるというわけですね。 麻布 はい、よくも悪くも。 酒井 みんな、その方が楽だから狭い世界で生きる選択をしているのかもしれないですね。