5年前に焼け落ちた城…回復する訪問客、カギは工事の進め方にあった 琉球の文化と平和を伝える場に、2026年の完成目指し首里城再建へ
修学旅行生やクルーズ客らも戻りつつあり、2023年度の入園者は約144万人に回復した。2024年度はさらに伸びる見込みだ。 ▽地下に眠る、物言わぬ戦争の語り部 首里城は14世紀ごろ建てられて以降、焼失と再建を繰り返しながら、琉球王国の拠点として繁栄してきた。1879年、明治政府による琉球処分で沖縄県が誕生し、約450年続いた王国は滅亡し、城も政府側へ明け渡された。 太平洋戦争末期、見通しの良い丘の上に位置する立地などを背景に、首里城の地下には南西諸島の防衛を担う旧日本軍第32軍の司令部壕が築かれた。1945年3月に始まった沖縄戦では、米軍との激しい地上戦で住民の4人に1人が犠牲になったとされ、首里城一帯も焦土と化した。城は戦後、1992年に再建された。 沖縄県によると、2019年の火災後、再建計画が話し合われる中で、市民団体や県内の研究者などから第32軍司令部壕の保存も求める声が強まった。県は現在、2025年度以降の順次公開を目指し、落盤や落石を防ぐなど安全面での対策を急いでいる。将来、再建された地上の城と新たに公開される地下の司令部壕の双方へ観光客を呼び込みたい考えだ。
来年には戦後80年を迎え、県担当者は「戦争体験者から証言を聴く機会はますます少なくなる中、『物言わぬ語り部』である司令部壕を保存し公開する重要さは増している」と語る。 復興に向けた、国の技術検討委員会の委員長を務める高良倉吉(たから・くらよし)琉球大名誉教授(琉球史)は「沖縄は、美しいサンゴ礁の海に囲まれ海洋レジャーの拠点であると同時に、戦争の記憶を持つ地域でもある。再建を契機に、琉球王国の美意識や伝統技術、県民が持つ戦争の記憶や平和への思いを広く知ってもらいたい」と話している。