大河『光る君へ』脚本家・大石静「執筆中に訪れた夫の死を噛みしめるのは、ドラマを書き上げてから。〈平安時代に関する思い込み〉を変えられたら」
年が明けてスタートした『光る君へ』。大石静さんが大河ドラマの脚本を手がけるのは、『功名が辻』以来、18年ぶりとなる。わかっていることの少ない紫式部と平安時代をテーマに、大石さんの描く1000年前の物語が幕を開けた(構成=山田真理 撮影=大河内 禎) * * * * * * * ◆平安時代を知るのは面白い 仕事がなかったら、とてもやりきれなかったでしょうね。でも仕事の場には仲間がいる。現場に行って美術さんから「大石さん、新しいセット見てよ!」なんて声がかかると元気が出る。 心身の疲れを癒やす時間もおかずに仕事に戻りましたが、「この仕事を受けていてよかった」と思いました。そうして少しずつ立ち直っていった気がします。 ドラマ作りというのは、私の作る土台の上に、スタッフやキャストがみんなで家を建てていくような作業。こと大河ドラマとなると、総勢100名以上の人が関わって、どこでロケをするか、どんな衣装を作るか、どんな芝居をするか、どんな映像にするかを考えるわけです。 当然、書いているときのイメージそのままに映像が仕上がることなどなく、そのギャップを「ほほう、こうきたか」と面白がったり驚いたり、ときにがっかりしたり(笑)。そんな心の揺れを味わえるのも、脚本家という仕事の刺激的なところです。 猛暑のなか、極寒のなかでのロケは、スタッフ・キャストみなが本当に大変。そんなとき、「この面白い台本なら、つらくても頑張ろう」と思ってもらえたらチームの結束は強まりますし、「こんな本のために苦労すんのかよ」と思われれば雰囲気は悪くなり、結束は乱れます。その責任は大きいと思って、面白い本を書かねばと、いつも自分を鼓舞します。
私は作品を通じて視聴者になにかを啓蒙しようと思ったことはありませんが、『光る君へ』では、自分もなんとなくとらわれていた「平安時代に関する思い込み」を変えられたら、という気持ちがあります。 たとえば道長について皆さんが知っているのは、「この世をば我が世とぞ思ふ望月のかけたることもなしと思へば」という歌でしょう。 貴族の驕りや藤原氏の独裁政治の象徴としてこの歌を覚えたものですが、史料を読むと、道長をはじめ官僚はよく働き、知的に政(まつりごと)を行い、天変地異の際には庶民のため救小屋(すくいごや)を建てたりもしている。そもそも天皇家に権力が集中することへの抑止力として藤原氏が台頭したわけで、よいバランスだったとも言えるのです。 でもなぜか私たちは、集団で殺し合いをする武士に清廉なものを感じるところがあります。これは明治政府が富国強兵を実現するうえで、誰もが兵士となり、戦う体制に疑問を持たせまいとした教育の名残だったのでしょう。平安の世の貴族社会に腐敗のイメージを抱きがちなのは、そんな影響が小さくない気がします。 むしろ平安貴族は血の穢れを嫌ったので、律令制に死罪の規定はあっても、死刑は執行せずに流罪を選んでいますし、もめ事は話し合いで解決するという考え方によって、400年もの平安な時代が続いたのです。そう『光る君へ』の時代考証を担当されている倉本一宏先生からうかがい、知らないことばかりで驚きました。 ドラマでは『源氏物語』のエピソードもあれこれ物語に組み込んでいますので、『源氏物語』に詳しい方は考察を楽しんでいただけたらと思います。そして道長の「望月の~」の歌がどのような思いと状況で詠まれたものなのかも、通説とは違う考えを示せたらな、と思っています。まだずっと先なので、考えはまとまっていないですけど。
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