「私は、戦争の何を知っていたのか」堀川惠子さんの傑作ノンフィクションが学生に与えた印象
79年目の広島原爆忌を迎えた8月6日朝、RKB毎日放送の神戸金史解説委員長は2冊の本を携えて、RKBラジオ『田畑竜介GrooooowUp』のマイクに向かった。ノンフィクション作家の堀川惠子さんの著作だ。大学生が読み込んで、著者と意見交換するイベントの様子を紹介した。 【写真で見る】学生と意見交換する堀川惠子さん
学生たちが読み込む「戦争ノンフィクション」
ノンフィクション作家の堀川恵子さんが登壇した、西南学院大学の読書教養講座(主催=西南学院大学、活字文化推進会議、主管=読売新聞社)の様子は、7月23日に一度紹介しています。大学生が堀川さんの著書を読み込んで、書いた本人と意見を交わす講座で、前回は『暁の宇品陸軍船舶司令官たちのヒロシマ』(講談社、税別1900円)でした。 【堀川惠子さん】 1969年広島県生まれ。広島大学総合科学部卒。広島テレビ記者を経て、ノンフィクション作品を次々と発表。『死刑の基準―「永山裁判」が遺したもの』で講談社ノンフィクション賞、『裁かれた命―死刑囚から届いた手紙』で新潮ドキュメント賞、『原爆供養塔―忘れられた遺骨の70年』で大宅壮一ノンフィクション賞と早稲田ジャーナリズム大賞、『戦禍に生きた演劇人たち―演出家・八田元夫と「桜隊」の悲劇』でAICT演劇評論賞、林新氏との共著『狼の義新犬養木堂伝』で司馬遼太郎賞を受賞。
「原爆供養塔」とは
今日はその他の2冊を紹介します。まず、『原爆供養塔―忘れられた遺骨の70年』(文春文庫、税別900円)。原爆供養塔は、家族のもとに帰ることのなかった犠牲者の遺骨がまとめられているものです。平和記念公園の片隅に、土饅頭と呼ばれる塚があります。そこをいつも黒い服を着て清掃している佐伯敏子さんの姿がありました。佐伯さんは入市被爆者。自分は直接被爆をしてないけれど、直後に家族を探すために被爆地に入り、生涯放射線の後遺症に苦しみます。供養塔のそばを流れる元安川の岸辺に流れ着く戦時中の学生ボタンを集めていました。 この本を読みこんだのは、西南学院大学の国際文化学部・柿木ゼミの柴田純一郎さんです。 柴田純一郎さん:原爆供養塔のお世話をされてきた佐伯敏子さんの足跡、数少ない手がかりの中からその遺骨を遺族の方へ返還していく、その活動を引き継ぐような形で堀川さんが行ってきた遺骨の身元を探る過程が描き出されている本です。 柴田純一郎さん:佐伯さんは、原爆の当日に原爆に遭ったわけではないんです。たまたまなんですけど。ただ1945年のうちにその肉親が13人も亡くなられているんですね。行く宛てのない遺骨が納められた供養塔を見て「何かせずにはいられない」と感じて、供養塔の雑草を抜いたりお世話をされるようになったということです。それで後に、供養塔の遺骨が納められた場所の鍵を得たのきっかけに、数少ない手がかりから遺骨を返還する活動を始めていかれる。 柴田純一郎さん:遺骨に付された手がかりはとても少ないし、情報も正しいかがわからない。戦争中は国民全員、自分の名前や住所を書いた名札を付けていて、記載されている名前や遺留品などから、本人の情報が遺骨に付されているんですけれども、原爆投下後の直後の混乱で作られたゆえに、名前が取り違えられていたり、読みはもしかしたら合ってるかもしれないけどちょっと漢字が違ったり、朝鮮半島からやって来られて「創氏改名」と言って日本名も持っていた方の遺骨だとか、実は生きている方の名前だったりとか…。 柴田純一郎さん:ひとまとめにされがちな原爆の犠牲者に対して、1人1人に丁寧に光を当てて、拾い上げて、そして磨いていく、という作品になっています。 原爆投下からきょうで79年。ちょうど79年前の今、まさに起きていたことについて、学生さんが真剣に考えることはとてもいいな、と思いました。