私たちはこれからどんなツケを払うことになるのか…なんと11年に及んだ「異次元緩和」がもたらしたもの
「バリバリの金融実務家であった私が、わからないことがあれば一番頼りにし、最初に意見を求めたのが山本謙三・元日銀理事です。安倍元総理が、もし彼がブレインに選んでいたら、今の日本経済はバラ色だったに違いない」 【マンガ】「長者番付1位」になった「会社員」の「スゴすぎる投資術」の全容 元モルガン銀行・日本代表兼東京支店長で伝説のトレーダーと呼ばれる藤巻健史氏が心酔するのが元日銀理事の山本謙三氏だ。同氏は、「異次元緩和」は激烈な副作用がある金融政策で、その「出口」には途方もない困難と痛みが待ち受けていると警鐘を鳴らす。 2024年9月17日講談社現代新書より山本氏初の本格的著作となる『異次元緩和の罪と罰』が刊行された。これを記念して、著者である山本氏と藤巻氏が、異次元緩和の功罪を検証する対談を行った。 現代ビジネスでは、その対談の内容を3本の動画に分割して公開する。第1回目は、「史上最大の経済実験と呼ばれる異次元緩和は本当に成功したのか?」について議論する。 以下、対談の要旨を掲載する。
37年にわたる付き合い
藤巻:私は、普段は全く人の本を読まないのですが、さすがに今回は、尊敬する山本さんが書いた本だということで、全部きっちり読ませていただきました。重要なところはマーカーで線を引いて精読しました、いや、本当に素晴らしい作品です。 藤巻健史(ふじまきたけし)氏。1950年、東京生まれ。一橋大学商学部を卒業後、三井信託銀行に入行。80年、行費留学にてMBAを取得(米ノースウエスタン大学大学院・ケロッグスクール)。帰国後、三井信託銀行ロンドン支店勤務を経て、85年、米モルガン銀行(現・JPモルガン・チェース銀行)に入行。東京屈指のディーラーとしての実績を買われ、当時としては東京市場唯一の外銀日本人支店長兼在日代表に抜擢される。同行会長からは「伝説のディーラー」と称された。 2000年、モルガン銀行を退行後、世界的投資家ジョージ・ソロス氏のアドバイザーなどを務めた。1999年より2012年まで一橋大学経済学部で、02年より09年まで早稲田大学大学院商学研究科で非常勤講師を務める。2020年に旭日中綬章を受章。日本金融学会所属。現在、参議院議員。(株)フジマキ・ジャパン代表取締役。東洋学園大学理事。 はじめて、私が山本さんにお会いしたのは、1987年のことです。当時、私はモルガン銀行日本支店の責任者(日本代表)で、山本さんは日銀の外銀担当の係長でした。以来、37年にわたってお付き合いいただき、金融政策について議論を重ねてきました。 私は金融マーケットのスペシャリストとして、黎明期から活躍し、生き残ってきた最古参のトレーダーです。これまで、金融市場の中心人物といわれるプレイヤーだけでなく、日銀や金融庁などの監督サイドの要人にも多数お目にかかりましたが、山本さんほど素晴らしい知識があって、実務経験のある方はいませんでした。私は金融の知識や経験については、人に負けない自信があるのですが、それでもやっぱりわからないことが出てきます。そんな時はいつも山本さんに助言を求めてきました。どうして、そんな優れた人が、今まで本を書かれなかったのかなという思いさえあります。そういう意味でも、山本さんの初の著作にして大変な力作である『異次元緩和の罪と罰』は、ぜひ皆さんに読んでいただきたいと思っています。 山本:面映ゆいほどのお言葉ありがとうございます。1987年に最初におめにかかったとき、すでに藤巻さんは名うてディーラーでした。最初にお目にかかったときは、マーケットを非常に大事にされる方という印象を持ちました。「金融機関の資産の評価は、簿価評価ではなく、常に時価評価でなければいけない」「金利の自由化を急ぐべきである」など、私は藤巻さんから教えていただいたことを大変参考にして、金利の自由化などを進めてきました。 山本謙三(やまもと けんぞう)氏 1954年 福岡県生まれ。76年日本銀行入行。98年、企画局企画課長として日銀法改正後初の金融政策決定会合の運営に当たる。金融市場局長、米州統括役、決済機構局長、金融機構局長を経て、2008年、理事。金融機構局、決済機構局の担当として、リーマンショックや東日本大震災後の金融・決済システムの安定に尽力。2012年NTTデータ経営研究所取締役会長。2018年からはオフィス金融経済イニシアティブ代表として、講演や寄稿を中心に活動している。