【大学野球】野球とは「自分のすべてを捧げてきたもの」早大戦連勝で有終の美を飾った慶大・清原正吾
本人にしか分からない重圧を乗り越えて
【11月10日】東京六大学リーグ戦第9週 慶大2-1早大(慶大2勝) 慶大が伝統の早慶戦で意地を見せた。すでに5位が決まっていたが、ライバル・早大に連勝。慶大が1敗すれば、早大の春秋連覇が決まる状況だったが、これを阻止した。 【選手データ】清原正吾 プロフィール・寸評 不動の四番・清原正吾(4年・慶應義塾高)はリーグ戦全日程を終えた。中学時代はバレーボール部、高校時代はアメリカンフットボール部と異色の経歴を歩み、大学で再び野球部に入部した。バットを握るのは小学6年時以来、6年のブランク。しかも、初めての硬式球という、かつてない挑戦だったが、血のにじむような努力で4年春にレギュラー定着。同春に一塁手のベストナインを受賞すると、今秋は3本塁打を放った。父は西武、巨人、オリックスでNPB通算525本塁打の清原和博さん。本人にしか分からないプレッシャーを乗り越え、学生野球の有終の美を飾った。
神宮での大学野球を終え、注目は卒業後の進路である。清原はプロ志望届を提出していたが、指名漏れ。独立リーグなどからオファーが届いているが、最後の早慶戦に集中してきた。連勝した早大2回戦後の取材対応である。 ――早慶戦が終わりました。 清原 2連勝で勝てて、良かったです。 ――試合後は涙を見せていました。 清原 メンバー、メンバー外を含め、僕自身だけではここまでやってこられなかったと思うので、その人に対して、監督をはじめ、家族、皆に対してありがとうという気持ちがこみ上げてきて、泣いてしまいました。 ――最後の打席は、空振り三振でした。 清原 僕らしくて、いいんじゃないかと思います。 ――苦笑いを見せていました。 清原 僕の大学野球人生の最後の打席だったので、悔いなく、フルスイングして終わろうと、バッターボックスに入りました。 ――スタンドに何かを叫んでいましたが。 清原 「ありがとう!!」と叫びました。
――試合後はグラウンドに残り、慶應と早稲田のエール交換を見届けました。 清原 本当にたくさんのお客さんに応援されて、限られた人しか、この舞台で野球はできない。この環境で野球ができることに感謝しながら、噛みしめながら、エール交換を聞いていました。 ――異例のルートを歩んできました。 清原 全部がうまくいった4年間ではなくて、挫折もありましたし、しんどい時期もありました。ここまでやってこられたのは、ずっとそばにいてくれた家族であったり、同期の皆、野球部の皆だったので、これが終わって、これから恩返ししていきたいなと思います。 ――注目されることを、どう受け止めた。 清原 力になっていました。僕のことを応援してくださる方は、ありがたいことにたくさんいらっしゃったことに対して、追い風に変えて、日々、練習していました。 ――家族への恩返しはできましたか。 清原 僕自身、すべてやり切りました。 ――進路について、どう考えていますか。 清原 この早慶戦で2連勝することだけを考えて、毎日過ごしてきたので、この先の進路に関してはいったん、明日以降、自分と見つめ合って考えたいなと思っています。 ――野球とは……。 清原 自分のすべてを捧げてきたものです。 ――野球は、家族とのつながりでもあった。 清原 僕の家族は、野球がまた、つないでくれたというところもあるので。ウチの家族は野球に対する思いはとても強いですし、そこに対して皆で力を合わせて、僕を支えてくれた。2人に感謝しています。 ――4年間で急成長を遂げ、(くふうハヤテら、複数球団から)オファーが来ています。 清原 ありがたく、思っています。 ――野球をやめてしまう可能性もありますか。 清原 そこも含め、ちゃんと自分の中で腹に落として、決め切れることができていないので、どの選択肢もあり得ると言ったらおかしいですけど、自分自身、考えて決めたいと思います。
週刊ベースボール