市民権を得たプライドパレード、30年前日本で始めた92歳の男性が心配すること LGBT理解増進法に潜む差別、「大事なのは個々の幸せ」
▽顔が見えない夜の「ちょうちん行列」でエイズ啓発を叫ぶ 日本で最初のパレードを行う機運はどうやって高まったのだろうか。南さんは1980年代半ば頃から、エイズの予防や啓発などを行う活動をしていた。当時、世界的に広がり始めたエイズは男性の同性愛と結び付けられ、日本社会でも同性愛者やHIV感染者への差別や偏見が広まった。感染していない同性愛者も不安を募らせていた。 南さんはHIV感染者をサポートするボランティア団体などを立ち上げ、電話で相談に乗ったり、エイズを発症した人の家事を手伝ったりすることもあった。 その流れの中で始めたのが、夜間の「ちょうちん行列」のアクションだった。数十人がろうそくをともしたちょうちんを手に、新宿から四谷まで歩いた。「エイズは死の病気ではない」「差別をするな」「恐れることはない」などと声を張り上げた。「顔が見えない夜だから、気軽に叫べたんです」 こうした活動を続けながら、南さんはニューヨークやサンフランシスコのプライドパレードにも足を運んだ。
「同性愛者であることを家族や友達に話せず、悪いことをしているという意識がいつもあった。それがパレードに参加して歩くと、自分を肯定して、一人前の人間になれた気がしたんです」 アメリカでのパレードは参加者が踊ったり、パフォーマンスをしたりして明るい空気に包まれていた。そんな様子を目にして「いつか日本でも」と準備を進め、日本初のパレードに結実した。 ▽「石を投げられるのでは」という不安…手を振ってくれる人を見て堂々と歩いた 1994年8月28日。この日、パレードのスタート地点となった東京・西新宿の「新宿中央公園」には200~300人の性的少数者の当事者らが集まった。南さんは仲間とともに「第1回レズビアン&ゲイパレード 祝カミングアウト」と書かれた横断幕を手にして歩き始めた。 当時はカミングアウトすることが今よりももっと難しい時代。パレードを開催するにあたり、参加者からは「沿道から石を投げられるのではないか」という不安の声も上がっていた。パレードの出発前に保険会社が参加者に傷害保険の加入を勧めていたほどだ。