「ネットには匿名性も必要」と平野啓一郎が思う訳 メタバースの「思いがけない差別」に教育的価値
例えばリアル世界では男性だけど、メタバースでは女性のアバターで活動しているような人も結構いて、それは彼の「分人」構成の1つとして女性アバターがある、という状態だと思います。 僕はこれには、教育的価値があるんじゃないかと思っています。かわいい女性アバターを使っている男性から実際に聞いたのですが、メタバースの中でいきなり卑猥なことを言ってきたり、胸を触ってきたりするやつがいるらしいんです。 彼は「アバターにすぎないんだけど、ものすごく不快感や暴力性を感じる」「女性として生きるのがどういうことなのかよくわかった」と話していました。
男性が女性のアバターで、というケースだけでなく、例えば白人が黒人のアバターでメタバース空間にいると、思いがけない差別を受けたり、怖い思いをしたりするかもしれない。多様性理解というか、そういう学習の場にも活用されうるのではないかと思います。 ――メタバースに限らす、長年ネット世界を作品に描いてきた中で感じることは? そんなにディープなネット住民でなかったにせよ、曲がりなりにもネットの登場時から付き合ってきた人間として思うことがあります。ネット世界について「昔は牧歌的でよかったのに今はひどくなった」という人がいるけど、それはウソじゃないか? ということです。
「2ちゃんねる」とか、1990年代終わりに登場したサービスも当初からひどい有様でした。もちろん楽しいコミュニティーもたくさんあったけど、暗部もあった。むしろ昔のほうがアナーキーだったかもしれません。 Xも、「イーロン・マスクが経営者になってひどくなった」みたいに言う人がいますが、Twitter時代も炎上騒動で死に追い詰められる人はいたし、差別的な言動を報告しても改善されない状況もありました。今が昔に比べてめちゃくちゃ悪くなった感じは、個人的にはあまりしないんですよね。
■すべてが「実名の下」に残ることの怖さ ――ネット世界はもっとクリーンになるべきでしょうか? もちろん、治安のいい場所になったらなとは思う。その反面、いろいろと取り締まりすぎるのはよくないんじゃないかという気もします。 というのも、自分の10代の頃を思い出すと、おかしなこととか、間違ったこととか、今考えると恥ずかしいことをいくらでも発言していたんですよね。それが全部、自身の実名の下に記録として残っていたら、今すごく困っただろうなと。