あましん誕生秘話「地元の存在なくして、尼信の存在なし」 受け継がれる創業者のDNA アマ物語
「尼崎」とくれば? 必ず「尼崎信用金庫」(通称あましん)の名前が挙がる。1921(大正10)年6月6日創業。100年以上も地元・尼崎を支え続けている兵庫県内最大の信用金庫だ。「地元の発展はわれわれの発展。あましんは地域に対する〝本気度〟が違うんです」と総合企画部の稲上裕副部長は熱く語る。それは創業者・松尾高一から受け継ぐDNA-という。松尾氏とはどんな人物だったのか。「あましん」誕生物語である。 【写真】歴代の「タイガース定期預金」のポスター。あましんの看板商品になっている ■何とかしたい 今も「あましん」に残る創業者・松尾高一の〝金言〟をご紹介しよう。 《地域の繁栄なくして、尼信の繁栄なし》《地元の存在なくして、尼信の存在なし》 この言葉の意味を稲上さんが説明してくれた。 「銀行と違って信用金庫は営業エリアが決まっています。あましんの場合は阪神間40市4町。このエリアからは出られません。これが地盤です。地域の衰退はわれわれの衰退。地域の発展はわれわれの発展。そういう思いを社員一人一人が持っています。創業から脈々と受け継がれたあましんのDNAです」 松尾は明治21年7月5日、岡山県美作市に生まれた。実家は蚕業講習所を営んでいたが、日露戦争後に起こった不況で倒産。松尾も大阪で働くことになり、妻と娘を連れて尼崎市に居を構えた。大正5年12月、28歳のときである。 その後、日本では第一次世界大戦後の不況で企業の倒産が相次ぎ「スペイン風邪」も猛威を振るっていた。尼崎でも、町の工場や小さな商店が資金難で次々に倒れていた。 「何とかしてあげたい…」。同じように家業を資金のやりくりがつかず潰してしまった松尾だけに、余計にその思いが強かった。 そんなとき知ったのが「市街地信用組合」の制度だった。会員を募り、大きな銀行に相手にされなかった小さな町の経営者に、みんなで資金を回し独立向上の機会を与えるというもの。「これならお金で苦しんでいる人を助けることができる」。松尾は尼崎で信用組合をつくろうと奔走した。 ■お客さま第一