書評:芸術家たちが描いた複数形のコスモス。生熊源一『ロシア宇宙芸術 宇宙イメージからみるロシア美術史』
芸術家たちが描いた複数形のコスモス ボリス・グロイス編纂のアンソロジーが邦訳されるなど、近年ますます再評価の機運が高まるロシア宇宙主義。肉体の限界を超えて不死に挑戦し、銀河に放逐されたすべての祖先を復活させ、人類は未開のフロンティアである宇宙へと進出する──。奇想天外なプロジェクトを謳うその思想潮流は、宗教哲学者ニコライ・フョードロフによる書物『共同事業の哲学』が刊行された20世紀初頭以降、1世紀以上の長きにわたって文化芸術の領域に影響を与えてきた。 宇宙開発自体、大国ロシアの威信と政治的命運を託した国家プロジェクトであり、共同体によって描かれた想像力と現実のテクノロジーの混淆物であることを思えば、個人単位で動く芸術家たちがどのように宇宙主義(コスミズム)を解釈し、それぞれの表現に昇華したのか、詳しい経緯が気になる。そこにはいわば、共産主義の夢に吸収合併しきれない個別の宇宙、本書の言葉で語られるところの「複数形のコスモス」がある。無重力空間への飛行を志向したスプレマチズム、飛行神話の光と影の両面に目を向けたソッツ・アート、1970年代以降にアンダーグラウンドで活動した「集団行為」をはじめとするモスクワ・コンセプチュアリズム、表向きにはソ連宇宙開発時代のイデオロギーを体現しながらも表現の核の部分で前衛の精神を継承したキネチズム。様々な潮流のなかには革命を志向した前衛芸術もあれば国家の庇護を得た公式芸術もあったわけだが、コスミズムの影響もしくはコスミズムへの応答という観点で眺めると、政治的な旗印を超えた複層的な影響関係が見えてくるのだ。 印象に残ったのは、宇宙の壮大な天球のイメージとは対照的に、幾人かの芸術家たちがほかならぬ私たちの身体が拠って立つ「地上」との関わりを作品に内在させていたことだ。天空と地上、飛び立つ者とその傍らで見守る者、不滅への志向と限界を持った肉体。これらの対比は、コスミズムを夢と現実の両面からとらえる相対的な眼差しを象徴するかのようである。芸術家たちこそが宇宙をめぐる想像力を私的に活用し、「複数形のコスモス」を創出することに成功したのだとすれば、それは既存の共同体から距離をとりオルタナティブなルートを探る身振りゆえでもあったのだろうか。 本書の企図はあくまでロシア美術史の記述に賭けられているのであって、現代のロシアが置かれた社会情勢について深く踏み込むものではない。しかし、生と死の定義を拡張すると同時に批判的にとらえ直しもする宇宙芸術の歴史を俯瞰したとき、人間にとって不可避の生死の問題は、現実の政治状況とも密接であることを突きつけられる思いがした。 (『美術手帖』2024年10月号、「BOOK」より)
文=中島水緖(美術批評)