沖縄戦を静かに語る”32軍壕” 実相を伝える戦争遺産
首里城公園内に現在もその形が残る「掩蔽壕」沖縄戦当時、掩蔽壕は32軍壕の付帯施設として人や物資を守る役割を担っていました。しかし、今もなお戦争の遺構として残る掩蔽壕の入口前には「第32軍司令部壕」書かれたパネルがありよく間違えられる場所でもあります。 仲村真さん「これから平和学習をさせて頂きます。どうか見守ってください。よろしくお願いします。黙祷。。。」 32軍壕を始め、首里城周辺の埋没した戦跡壕を正しく学ぼうと、先月、県内各地からおよそ60人が参加するフィールドワークが行われました。参加者らはガイドの案内のもと首里城公園内にある第一坑口や、城西小学校にある第2、第3坑口の調査抗に立ち寄ったあと掩蔽壕の前に到着しました。 仲村真さん「この掩蔽壕はですね、この上のほうをみるとですね、弾のあとがあるわけですね。ここにもありますね。ここにも。で、ここに大きな穴があって一番大きいのはここですね。激しい爆撃で壊れていないですよね。砲爆撃からモノや人間を守るためのいわゆるシェルターですね。ですから出入り口ではないです。2か所ありますけどここの中には地下に通ずる道はないです」 参加者「32軍司令部壕の入り口というのは間違い?」 仲村真さん「間違いです」 参加者「32軍司令部とは関連してるけれども、32軍司令部ではない?」 仲村真さん「32軍司令部壕の付帯施設」 地上にある掩蔽壕が地下にある32軍壕と間違えられてしまう。改めてその実態に触れた参加者は、戦争の実相・真実を学ぼうと、積極的にガイドに質問をします。
参加者 男性「第4、第5坑口というのはポイントであればどこといって説明すればいいんですかね」 仲村真さん「今、階段がありますね。あの付近が第4坑口」 自らの足で32軍壕について学んだ参加者には次世代を担う若者の姿もありました。 参加者 20代女性「当時の状況だったり、知ることができて本当にいい機会だったと思います」 参加者 20代女性「若者たち、私たち世代の人たちにも実際に足を運んでみて知る機会を、その機会をもっと増やせていけたら」 参加者 20代男性「やっぱり歴史的なものとして、何十年も何百年も残していってほしいなと思います。」 仲村真さん「ここ(32軍壕)に軍機能が集中していて、それに動員された学徒や住民、そういったこともすべてある意味、まとまった形で学べる場所なので、これは非常に大切にしていかないといけないと思います。」 華やかさのウラにある首里城のもう一つの歴史。決して消えることのない「歴史の傷跡」は平和な未来につなぐ過去からのメッセージです。現在、第32軍司令部壕は第1坑口の場所を特定するなど 新たな動きがありますがその全貌は明らかにされていません。 保存公開に向け調査が行われる中、負の遺産を見つめなおし正しい情報を次世代に継承していくことが記憶のバトンを繋ぐ一歩になります。
QAB 琉球朝日放送