50歳ベテランが悲鳴「地獄でした」 プロ32年の歩みに限界…現役生活の終焉「あれが決定打」【インタビュー】
「少しでもサッカーが盛り上がればいい」伊東の考え方にも変化が
決して饒舌ではない伊東。若い選手と食事したり、遊びにいったりすることも多くないという。それでも、その背中でチームメイトを鼓舞し、引っ張ってきた。輝かしい実績のある大ベテランが黙々とトレーニングを続ける姿が若手を刺激し、チームの力になった。 「トレーニングをしないのに何か言っても説得力がないから。20歳そこそこの選手と一緒にやるのは難しいですよ。それでも、マックスでやろうとしていたし、やれたんじゃないかと思う。若いやつはエネルギーがあるので、それをもらいながらやっていた感じ。自分が刺激を与えていたのだとしたら、どちらにとってもいい関係だったんですね」 もう1つ「おもしれえな」と思ったのは、長野や秋田でプレーすることの意義。伊東がチームに加われば、地元メディアも注目するし、ファンも集まる。クラブが、地域がサッカーで盛り上がる。試合での戦力としてだけでなく、ピッチの外でも大きな「戦力」になった。 「長野も秋田も静岡のようにサッカーが根付いているところではない。そういうところで話題作りになって、少しでもサッカーが盛り上がればいい。クラブが自分を使ってサッカーをアピールしてくれればいいと思っていました」 伊東がプロ選手になった90年代、選手寿命は今とは比べ物にならないくらい短かった。Jクラブは発足当初の10から60まで増え、移籍を繰り返すことも珍しくなくなってきた。40歳を過ぎてもJリーグや下部のJFL、さらに地域リーグでプレーを続ける選手も少なくない。そんな時代の流れを伊東はポジティブに見ている。 「昔は30超えたら(引退)というのがあったけれど、選択肢が増えたのはいいこと。しんどいけれど、本人が選択してやっていけるのはいいかな。ただ、俺から見てもカズさんは意味わかんないけど(笑)」
引退後は「自分でもよく分からない」
引退後に待っている第2の人生。豊富な経験としっかりとした考え方、寡黙さも年を経て変わったのか、トークも得意になったように見えた。引く手もあまただろうが、本人は何も考えていないという。 「変な話、選手しかやってこなかったので、何が向いているのか、何ができそうか、自分でもよく分からない。困ったもんなんすよ(笑)。指導者もまったく考えていないわけでもないし、オファーがあれば色々と考えていきたいですね」 最後に、長く現役を続けてピッチから日本サッカーの進化を見てきた50歳に、今後の日本サッカーへの提言、こうなって欲しい、こうなったらいいなと思うことを聞いてきた。もっとも、ここでも自然体。伊東らしさをまったく変えずに笑いながら答えた。 「引退会見でも聞かれたんですよ(笑)。でも、そんなでけえこと、俺には分からん(笑)。小さい時にサッカー選手になりたいと思って、高校生の時にプロリーグができるとなって、高校出てプロになって、それが32年続いた。サッカーが好きでやってきただけ。周りなど気にしなかった。子どもの感覚のまま50歳まで来ちゃった。だから、たち悪いんですよ(笑)」 嬉しそうにそう言いながら、自身が歩んできたJリーグでの32年を振り返った。 「本当に運が良かった。身体が強かったのもそうだし、大きな怪我もしなかった。小さかったから相手とコンタクトしないようにプレーしてきたのも良かったかもしれない。そして、大きいのはいろいろな人との出会い。それがあったからプレーを続けられた。家族をはじめ、多くの人に感謝したい。ここまでできて、本当に幸せでした」 J1通算517試合、J2とJ3を合わせて561試合。32年間のJリーグには常に伊東の姿があった。小さな体でチームメートを、そして多くのファン、サポーターを魅了してきた「鉄人」。お疲れさま、そしてありがとう。来年2月、Jリーグは初めて伊東のいないシーズンを迎える。 [プロフィール] 伊東輝悦(いとう・てるよし)/1974年8月31日生まれ、静岡県出身。静岡・東海大一高(現東海大翔洋高)―清水エスパルス―ヴァンフォーレ甲府―長野パルセイロ―ブラウブリッツ秋田―アスルクラロ沼津。ボランチとして清水の黄金期を支え、U-23日本代表ではアトランタ五輪ブラジル戦で「マイアミの奇跡」を起こすゴールを決めた。Jリーグ開幕の93年から32年間Jリーグでプレーした唯一の選手。日本代表通算27試合。 [著者プロフィール] 荻島弘一(おぎしま・ひろかず)/1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者として五輪競技を担当。サッカーは日本リーグ時代からJリーグ発足、日本代表などを取材する。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰。20年に同新聞社を退社。
荻島弘一/ Hirokazu Ogishima