50歳ベテランが悲鳴「地獄でした」 プロ32年の歩みに限界…現役生活の終焉「あれが決定打」【インタビュー】
伊東輝悦はJリーグ発足から50歳まで現役でプレー
「鉄人」がJリーグのピッチを去った。今季限りの引退を表明していたアスルクラロ沼津のMF伊東輝悦が11月24日、松本山雅FCとのJ3最終戦に途中出場。32年間の選手生活にピリオドを打った。Jリーグがスタートした1993年にプロ選手となり、50歳という節目まで現役でプレー。少しずつ変わっていった考え方や引退後のことまで“鉄人”伊東に聞いた。(取材・文=荻島弘一) 【写真】「50歳の体じゃない」 “現役さながらの肉体美”「腹筋割れてるの凄い」 ◇ ◇ ◇ 企業チームが中心だった日本リーグの活性化、日本サッカーの強化を目指してJリーグが発足したのが1993年。この年に清水に加入した伊東は、以来32年間Jリーガーとしてプレーし続けてきた。「辞めたい」とも思わず、ここまでプレーを続けてきた裏にある考えを明かした。 「辞めたいと思ったことはないですね。プレーする場所がなかったら辞めなくちゃならないけど、自分からはない。一番はサッカーをプレーするのが好きで面白い、楽しいから。その気持ちは、ずっと変わることはなかったですね」 清水から戦力外を通告されたのが36歳。引退を決断しても不思議ではない年齢だ。それでも、本人の頭に「引退」という文字はなかった。クラブや代表で一緒に戦ってきた仲間がピッチを去っても、自分は続けていくつもりでいた。漠然と頭にあったのが「50歳まで」だった。 「42、43代の時に少し思った。『50まで行ったらおもしれえな』と。突き抜けてやろうかなって。上にはカズさん(JFL鈴鹿で現役を続ける57歳FW三浦知良)がいるし、やっていても大丈夫じゃねえかなと思って。今シーズンの始まりくらいに『今年が最後かな』と思って、それが初めてですかね。やめることを考えたのは。50歳というのもあったし」 伊東が引退について口にしたことがあるのは「しんどいが楽しいを上回ったら」という言葉。これまでは、常に楽しさが上だった。もっとも、今年は少し違った。50歳で取り組む猛暑の中での練習は、これまで経験したこともないしんどさだった。 「最初に思った時点で、ある程度引退を決めた感じはあった。ただ、やっぱり今年の夏。暑かった。もともと、ゴンさん(中山雅史監督)の練習は厳しいから、地獄でした。今年の夏はしんどすぎた。あれが、(引退決意の)決定打になったかもしれませんね(笑)」 試合出場の機会は激減していた。今季は最終戦のアディショナルタイムに出場しただけ(記録は1分)。17年に沼津入りしてからは、8年間で8試合52分しかリーグ戦のプレー時間はない。AC長野パルセイロ、ブラウブリッツ秋田を含めた10年間でも、13試合116分しかプレーしていない。 「もちろん、選手である以上は試合に出たいし、出るために準備もしてきた。ただ、長野にいた40歳くらいから少し変わってきた。若い時みたいに何が何でもとは思わなくなった。もっと若い選手が活躍したほうがいいんじゃないかなと。選手でありながら変な感じなんですけど」 試合に出ていなくても、出ている時と変わらずトレーニングで手を抜くことはなかった。沼津での今季最終戦、その前日の練習まで若手選手たちと同じメニューを消化した。それが、出場機会が限られながらもプロ選手であり続けられた理由でもあった。 「カテゴリーは下がったけれど、その中で競争みたいなところに身を置いてプレーすることにやりがいを感じたし、楽しかった。トレーニングはしっかりやりたかったし、基本的にずっとやってきた」