<連載 僕はパーキンソン病 恵村順一郎> あなたの心にも、きっと1羽のカワセミが棲んでいる 「だいじなもの」をとりもどそう
〈花ぐもり松に翡翠の瑠璃うごく〉水原秋櫻子(1892~1981) カワセミは護岸のへりにちょこんと止まり、水面を見詰めている。と突然、ダイブする。ほんの1秒で魚をくわえ再び護岸へ。大きなくちばしで器用に魚をくるりと回し、頭からするりと呑(の)みこんだ。 〈棒呑みの獲もの翡翠の身に収まる〉橋本多佳子(1899~1963) 固唾(かたず)をのんで見守る僕を警戒したのか。「チッチー」。カワセミは甲高い鳴き声を残して、水面すれすれを滑るように飛び去って行った。 〈翡翠の一閃枯野醒ましゆく〉堀口星眠(1923~2015) 俳句の世界でカワセミは夏の季語だ。川蝉か翡翠と書き、「かわせみ」「ひすい」と読む。手元の辞書でカワセミを引くと「空飛ぶ宝石」とも称される、とある。 今でこそ、都心にもカワセミが棲むことは広く知られている。 けれど当時の僕は想像もできなかった。自宅の目の前にカワセミが棲むなんて――。 「ワシらはみんな用水路で泳ぎを覚えたもんだ。昔はもっともっと魚がいた。それこそ湧くように」と語るのは、この地に生まれ育った、僕より少し上の世代の知人である。 用水路の水は、正直言ってさほどきれいとは言えない。ただ、コンクリートで覆わず、土の部分を残したこともあってか、カワセミが主食とする魚やザリガニが多い。
知人によると、用水路は江戸時代、治水と農業用水のために造られたそうだ。 「戦後、水路沿いに自動車などの工場がどんどん建った。そのまま飲めた水が飲めなくなり、泳ぐこともできなくなった。魚もいなくなった」 「高度成長後、工場がなくなって跡地にマンションが次々建った。そうこうするうちに、水がきれいになってカワセミが戻って来た」 カワセミのいるところには、たいてい追っかけのカメラマンがいる。地域の写真コンクールの展示を見に行くと、カワセミが被写体の作品がずらりと並ぶ。カワセミは我が町のアイドルである。 危険な存在(人間など)と一定の距離を保てていれば、カワセミはかなり長時間その場を動かない。じっとしているところを撮るのは容易だが、魚を捕ったり食べたり飛び立ったり、一瞬の動きを撮りたいと思ったら我慢比べになる。 同じ姿勢を続けにくいパーキンソン病患者の僕は、カワセミの行動をじっくり待つのは難しい。動きのある写真はたまにしか撮れないけれど、仕方がないとあきらめよう。僕にとって身近な野鳥の撮影は、あくまで散歩に出るための動機なのだから。 それでもカワセミに会えた日は気分がいい。自宅に戻るとまず妻に「カワセミがいたよ」と報告する。 僕はこう考えてみたい。それぞれの人の心に、それぞれのカワセミが棲む、と。たとえば小説家、永井龍男(1904~90)にとって、カワセミは厄介者である。 〈家には大きな古池があって、鯉や緋鯉を飼っているが、川せみという鳥がきてながいくちばしでさらって行く。作男たちは網を張ってこの鳥を捕え、くちばしを針金でしばって放つ(略)横向きの姿は華麗で、翡翠という別名にふさわしいが、獲物をねらったところを正面から見ると、実に凶悪な表情をしている。くちばしに針金をまくのも道理と思うほど憎々しげである〉(『一個 秋その他』講談社文芸文庫より「刈田の畦」) 撮りためたカワセミの写真を見返してみる。なるほど紙一重であろう。アップで正面から見た顔を、愛らしいと思うか、ふてぶてしいと思うか。あなたはどう思われますか?