イチロー氏「立てないから、うずくまるしかない」阪神淡路大震災を回想「今年やるしかない」復興の象徴に
マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクターのイチロー氏(51)が23日放送のMBS/TBS系のドキュメンタリー番組「情熱大陸」に出演。1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災を振り返った。 【写真】登録名を鈴木一朗からイチロー、佐藤和弘からパンチと命名したオリックス・仰木監督 震災発生時、イチロー氏は神戸市西区にあるオリックスの寮にいた。「ものすごい地響きみたいな音がして、寮にでっかいトラックが突っ込んだのかと…。“え?こんな時間に?”って。そしたら揺れ始めて地震だって」と午前5時46分の尋常ではない揺れで起こされたと振り返った。 そして「逃げたい気持ち。本能的なものでしょうね。“じっとしてたらダメだ”って。でも立てないんですよ」とあまりの揺れで立つことさえできず「立てないから、うずくまるしかない。布団かぶって。それがおさまって、2階に食堂があるんだけど、パンツ一枚で食堂に集まる。そういう経験でした」と揺れがおさまり、着の身着のまま食堂へ走ったと当時を回想した。 だからこそ「あの時はキャンプ2週間前でしたから、キャンプ無理だなと。少なくとも初日に全員集まることはできないと皆、思った」と2月1日のキャンプイン目前だったことから、キャンプが予定通り行われるのかも不安だったという。 ところが「全員集まったんですよ」と2月1日に全員がキャンプイン。「これ、すごいことだなって思って、そこで僕らがやること、やらなきゃいけないこと、やりたいことが明確になった記憶がありますね。これは今年やるしかない」と皆の思いが一致したという。その年、オリックスは「がんばろうKOBE」を合言葉に、さらにユニホームにこの言葉を縫い付け、シーズンを戦いリーグ優勝を果たした。翌96年には日本一に輝き、復興の象徴となった。