「どんなに努力しても100人に1人無理な人がいる、それがあなたです」納言・薄幸が感じた引き際と「帰りのタクシーで号泣した日」
芸人になる前は小学5年生から子役事務所に所属し、実は子役として名作ドラマにも出演していたという納言・薄幸さん。しかしあるとき、子役事務所を辞める辛辣なひと言が伝えられます。そして転機が── 。(全2回中の2回) 【写真】薄幸さんと一緒に退学処分を言い渡された母と ほか
■「努力しても無理な人がいる、それがあなた」と ── 小学校5年生のときに子役の養成事務所に入ったそうですが、もともと芸能界に興味があったのでしょうか? 薄幸さん:幼稚園のときから将来はテレビに出る人になりたいと思っていました。「子役でテレビに出たい」「演技がしたい」と親にずっとお願いしていましたが、親もはじめは子どもの言うことだからと、本気にしていなかったんです。でも、あまりにもずっと言い続けていたので親も「本気なのかな?」と思ってくれたらしく、小学5年生のときに子役養成事務所のオーディションを受けさせてもらうことになりました。しばらくそこでお世話になっていましたが、中学生になると部活も始めたので、自宅からより通いやすい子役事務所に移籍して、16歳くらいまでいたのかな。
── 覚えているお仕事はありますか? 薄幸さん:『1リットルの涙』の生徒役や『行列のできる法律相談所』の再現VTR、ベネッセのCMとか。でも、ほぼセリフがないエキストラです。『1リットルの涙』に関しては、顔も映っているかわからないくらいの感じだったと思いますよ。 それでも、演技は好きで続けていくつもりでしたが、あるとき子役事務所のマネージャーさんから申し訳なさそうに言われたんです。「どんなに努力をしても100人に1人くらいどうしても演技が上手くならない子がいますが、それがあなたです」って。マネージャーと言ってもいつもお世話になっていた方ではなくて、たまたまその日、授業を見にきていたマネージャーさんでしたが、自分でも力不足は感じていたし、演技の仕事は引き際なのかな、と思いましたね。
これが理由で子役事務所を一度辞めましたが、やっぱりテレビに出たい。俳優になりたいというより、とにかくテレビに出たかったので、アイドル、歌手、なんでもよくて、そこで思いついたのがお笑いです。バラエティも好きだったし、M-1も毎年欠かさず観ていました。あと、芸能事務所で体験した「漫才」のおもしろさにも惹かれたし。そうは言ってもなんとなくお笑いが好きっていう軽い気持ち程度でしたが、17歳のときにワタナベコメディスクールに入学しました。