富士ソフト「物言う株主」に翻弄された数奇な運命 ファンドの争奪戦で創業家と会社が対立構図に
しかし9月4日に富士ソフトが開示したTOBに関する追加のリリースにより、創業家の驚くべき動向が明らかとなった。ベインが創業家と交渉し、今年末までの間、ベイン以外とは非公開化に関する取引は行わないことで合意したというのだ。 野澤氏の娘婿にも当たる坂下智保社長は、「特別な利害関係を有していると判断される可能性がある」ことを理由に、今後の非公開化をめぐる一切の意思決定から外れることになった。KKRに賛同する会社とベインと組んだ創業家が、実質的に対立する構図となる。
買収をめぐり翻弄される富士ソフト。そもそもなぜ、株主ファンドが先導する異例の形で、非公開化の道を歩むこととなったのか。 富士ソフトが本社を構える横浜市・JR桜木町駅前から車を西に走らせること約30分、同市旭区にある丘陵地に、5000世帯近くの住民を擁する大規模な団地が広がる。同社創業の地である左近山団地だ。1970年、高度経済成長期に整備されたばかりのマンモス団地の一室で、富士ソフトは産声を上げた。
本格的な「コンピューター時代」を見据え、創業者の野澤氏が当時講師を務めていた専門学校の生徒2人と起業し、自宅でもある団地の小さな部屋を拠点にプログラマー派遣などをしながら、ソフトウェア開発に邁進した。 会社の規模が拡大する中でも、野澤氏は「独立系」を貫くことにこだわった。自身をテーマにした書籍『富士ソフト創業者・野澤宏の「変化の時を生き抜く」』(財界研究所、村田博文著)で、野澤氏は次のように述懐している。
「系列だったら、他社の仕事を伸ばせないじゃないですか。子会社になったら、その会社の仕事しかできない。いろいろな取引先と創造的な仕事をしたいと思って起業したのですからね」 大手の系列に入ることなく、ソフトウェア開発で成功を収めた富士ソフトは1992年に上場を果たす。積極的なM&Aなども経て、年間売上高3000億円規模の企業グループに成長を遂げた。自動車やFA向けの組み込み系のソフト開発に強みを持ち、直近では10期連続で増収増益を達成している。