「出ていったこともあった」夫・魁皇と“2回の離婚危機”…女子プロレスラーから相撲部屋の女将になった西脇充子が明かす“夫婦の関係性”
17歳から22歳までは、女子プロレスラー。引退、結婚後は、夫の魁皇関を大関に昇進させた。浅香山部屋の女将さんとなった西脇充子さんは現在、多くの子どもたち=力士に囲まれる生活を送っている。“力士の妻”の苦悩や離婚危機、女将としての現在について聞いた《NumberWebインタビュー全3回/最終回》 【写真】アイドルレスラー時代の西脇充子がリング上で歌う貴重写真。北斗晶、練習中に急逝した佐藤真紀さん(享年15)ら同期選手との新人時代の写真に、相撲部屋の女将になった現在の姿も。この記事の写真を見る。 ◆◆◆ 西脇 結婚した当初は何が大変って、親方(魁皇関)のケア。もう、それに尽きる! だんな様という感じはまったくなくて、相撲協会から、部屋から大事なものをお預かりしている、そういう感覚でした。病気をさせずにしっかり育てて、大関で終わらせちゃいけない、横綱にさせなきゃいけないんだという使命感ですよね。横綱にはなれなかったけど。腰痛を抱えていて、晩年はケガが多かったから、たとえば電球ひとつにしても、「替えてくれる?」が言えなかった。 ――なぜですか。 西脇 体を伸ばすことで、悪化させちゃいけないから。買い物だってね、「一緒に行ってほしい」なんて、言ったことがない。無駄に歩かせて、腰を痛めたらダメだから。寝る体勢ひとつにもピリピリしてたし、ソファで寝ようとすると、「ちゃんと(布団の上で)寝な」って。 ――生活が夫中心だったんですね。普通の夫婦にあこがれませんでしたか。 西脇 思ってたよ。2人で買い物に行って、かごに商品を入れてって、できるもんだと思ってたから。そんなこと、1回もないよ。そんなことしたら、「魁皇を買い物なんかに連れだしてんじゃねぇ」って言われちゃうよ。
デートの場所は治療院と病院だけだった
――言葉にも出せなかった? 西脇 うん。言ったことない。私たちのデート場所は、治療院と病院。それだけ。その2カ所は、いっつも一緒に行ってた。私が足になって(運転して)連れていって、治療は知り合いのところで時間外にやるから、夜ごはんを食べて、夜の8時、9時ぐらいに行くんですよ。帰ってくるのは、深夜の12時ぐらい。それを、場所中は毎日。面倒くさかったのは、湿布貼り。マッサージした後、大きな体に10枚ぐらいをベタベターって貼るんです。あと、にんじんジュースを作って飲ませてた。生のにんじんを10本ぐらいパワージューサーで磨って、りんごを入れるの。それが、私の日課。にんじんもね、母が送ってくれたりして、もう家族全員で闘ってた感じ。 ――「東京ディズニーランドでデートがしたい」とか、そんな単純なことは口が裂けても言えない感じ? 西脇 後援者の方のお誘いなら行けるわけ。結婚のお祝いで招待してもらって、行きました。ミッキーマウスを呼んでくれてたんです。私は知ってたけど、親方には内緒で。私が「ミッキーって園内に1匹しかいないんだよ」なんて言っても、親方は「何がミッキーだよ。ねずみだろ?」とか言っちゃって。ごはんを食べたあとにミッキーが来てくれたら、親方、「うわー、ミッキー!」なんて大興奮(笑)。嘘でしょ、「ねずみだろ」って言ってたじゃん、みたいな。その激写がね、これ(と、スマホを見せてくれる)。親方も若いなぁ(しみじみ)。
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