2浪早稲田「妹に進学を先越された」彼が抱く絶望。妹に対するコンプレックス、それでも早稲田に挑戦する日々
■早稲田しか行きたくない! と想い募らせる こうして川岸さんは、志望校を早稲田に設定して、高校3年生のはじめから3教科に絞って勉強を開始します。 すると2カ月後にまた、彼の早稲田愛をさらに深める出会いがありました。 川岸さんは高校の応援部の同期を誘い、早慶戦を見るために神宮球場まで向かいます。すると、2カ月前の甲子園球場で、早稲田実業のアルプススタンドで応援していた1歳年上の応援部の団長が、早稲田大学の応援部の1年生としてその場にいたのです。
「甲子園の早稲田実業の応援のとき、『学生注目!』と大きい声を出して客席を盛り上げていたのがとてもかっこよくて、印象に残っていたのです。そこで、思い切って声をかけて、三重高校で応援部に入っていることを伝えたら、『一緒に応援やろうぜ、早稲田こいよ!』と返してくださいました。それが、『早稲田に行きたい、早稲田しか行きたくない』と思う、大きなきっかけになったんです」 そこからひたすら早稲田のことを調べた川岸さんは、早稲田のサークルが発行している受験情報誌『早稲田魂』を買って読んだり、早稲田関連の動画を検索して見ることで、自分自身も早稲田に入って、応援をしている姿を想像しながら日々勉強に励みました。
しかし、夏に高校の応援部を引退してから本腰を入れて勉強を始めたものの、河合塾全統模試の偏差値は40程度。かろうじて50を超えていた日本史も、早稲田で通用するレベルではありませんでした。 この年は東進ハイスクールには通っていたものの、基礎も何もできてない中での勉強のためにあまり効果がありませんでした。 「何もわからなくて、現代文も古文も英語もすべて適当に読んでいる感じでした。現役のときは早稲田の商学部・教育学部・文化構想学部を受けたのですが、受かるはずがなかったですね。それ以外に地元の大学を2つ受けて、どちらも受かったのですが、どうしても早稲田に行きたかったので浪人しました」