朝ドラ『虎に翼』寅子らが立ち向かう共亜事件とは? モデルとなった「帝人事件」は公判266回の超長期戦だった
NHK朝の連続テレビ小説『虎に翼』第5週「朝雨は女の腕まくり?」では、昭和初期の日本を揺るがす大事件「帝人事件」をモデルにした「共亜事件」に巻き込まれた父・猪爪直言(演:岡部たかし)を救うべく、主人公・猪爪寅子(演:伊藤沙莉)らが奮闘する様子が描かれている。今回はモデルとなった帝人事件と、当時の日本がいかにカオスな状態にあったのかを解説する。 ■検察側の理不尽な誘導尋問は史実でも大問題になっていた 贈賄の疑いで勾留された直言の弁護を引き受けたのが、寅子の恩師である穂高重親(演:小林 薫)だ。穂高は寅子ら猪爪家の面々が直言から引き出した「やっていない」という証言を信じた。そして寅子を連れ、共亜事件のほかの被疑者15人の弁護人との“作戦会議”に出向き、力強く無罪主張を宣言するのである。 共亜事件のモデルと考えられる「帝人事件」は、台湾銀行と帝国人造絹絲株式会社(略して「帝人」)を巡る政治が絡んだ大規模な贈収賄事件で、以下の16人が起訴された。政財界の重鎮、そして当時の斎藤内閣の大臣らの逮捕・起訴は日本を揺るがす大事件に発展した。 <台湾銀行> ・島田茂(台湾銀行頭取) ・柳田直吉(台湾銀行理事) ・越藤恒吉(台湾銀行整備課長) <帝人> ・永野護(山叶証券取締役、帝人取締役) ・高木復亨(帝人社長) ・岡崎旭(帝人常務) ・河合良成(日華生命専務、帝人監査役) <大臣> ・中島久万吉(商工大臣) ・三土忠造(鉄道大臣) <大蔵省> ・黒田英雄(大蔵次官) ・大久保偵次(大蔵省銀行局長) ・大野龍太(大蔵省特別銀行課長) ・相田岩夫(大蔵省銀行検査官、台湾銀行管理官) ・志戸本次朗(大蔵省銀行検査官補) <その他> ・長崎英造(旭石油社長) ・小林中(富国徴兵保険支配人) 寅子たちが生きる昭和10年(1935)時点の日本の国内情勢を簡単に整理してみよう。日本は関東大震災と昭和恐慌以降、深刻な経済危機に陥っていた。そしてようやく景気が回復傾向に転じようかというところである。国民は不況に喘ぐなかで自分たちを救ってくれない政府への不信感を募らせ、華族や政財界の富裕層への不満を抱えていた。 そんな時に起きたのが、昭和7年(1932)の「五・一五事件」である。武装した陸海軍の青年将校らによる反乱、そして犬養毅首相の殺害によって、日本の政党政治は崩壊し、軍部主導の政治体制へと移行していく。ちなみに、帝人事件発生時の内閣総理大臣は海軍出身の斎藤実だ。 陸海両軍の軍法会議は昭和8年(1933)に始まり、メディアは「被告人らは純真な思いで政財界の腐敗を憂い、それを正そうとした」と盛んに書き立てていた。同時に一部の特権階級を糾弾し、政党・財閥の腐敗を強調するかのような報道が過熱した。 そんななか、昭和9年(1934)に帝人事件が発生し、翌年6月22日に東京刑事地方裁判所で開廷する。当然、メディアはこれに食いついて激しく非難し、検察を支持した。この事件がこれほどの騒動に発展した背景の一端には、当時の国民の政治への不信や腐敗した政財界への嫌悪感、そして世論を扇動していたメディアの存在もあったのである。 被告人らは一貫して無罪を主張し続け、議会でも検察当局による“人権の蹂躙疑惑”が度々取り上げられたが、その後も裁判は長引いた。昭和12年(1937)12月22日、被告人16人の無罪判決が言い渡されるまで、じつに266回に及ぶ公判を経ている。被告人当人らはもちろん、その家族や親族にとっても長く苦しい日々だったことは言うまでもない。 この事件は今なお全容が明らかになったとは言えず、戦前の日本の混沌を象徴するような事件として現在も語り継がれている。 <参考> ■『歴史人』2023年9月号「太平洋戦争開戦の決断」内「世界恐慌とファシズム/満州事変と国内情勢(水島吉隆)」 ■筒井清忠編『昭和史研究の最前線─大衆・軍部・マスコミ、戦争への道─』(朝日新聞出版)
歴史人編集部