なぜ元W杯戦士の森島がセレッソ大阪社長に異例就任したのか。「監督が目標で最初は断った」
鹿島アントラーズは鈴木満常務取締役強化部長が1996年から、川崎フロンターレは庄子春男取締役強化部長が2001年から、それぞれ強化の最高責任者を担っていま現在に至っている。しかし、森島社長がセレッソというクラブに携わってきた時間の長さ、そして注いできた愛情の深さは2人に勝るとも劣らない。 Jリーグの発足から2年遅れで参戦したセレッソは、これまでに3度のJ2降格を味わわされてきた。そのうち2度を選手として、1度をアンバサダーとして経験している森島社長は、不安定な軌跡を描いてきたクラブの歴史をこう受け止めてきた。 「たとえばJ1で3位に入った2010シーズンは、セレッソというチームの形ができあがったというよりも、方向性というものをようやくチームがもち始めた段階でした。それを大事にしていかなければいけなかったところで、再びチームの方向性を見失った部分があった。セレッソらしいと言えばそうなんですけど」 昨シーズンはYBCルヴァンカップと天皇杯全日本サッカー選手権を制し、セレッソとしての初タイトルを獲得した。しかし、いい流れを継続できないまま今シーズンは無冠に終わり、クラブの歴史に1ページを刻んだOBのユン・ジョンファン監督も退任することが決まった。 所信で「いい方向」と言及した理由が、ここにある。周囲からは何度も「大丈夫か」と社長業への挑戦へ心配を寄せられた。それでも選手、コーチングスタッフ、フロント、そしてファンやサポーターをまとめ上げて一枚岩へと変える、船頭たるべき存在がいまこそ必要だと痛感したからこそ大役を引き受けた。 新たな指揮官としてJ2の東京ヴェルディを2年連続のプレーオフへ導いた、スペインの名将ミゲル・アンヘル・ロティーナ監督の就任が決まった。一方で長く主軸を務めてきた選手たちが、相次いでセレッソを離れて新天地を求める緊急事態も発生している。 今シーズンのキャプテンを務めたMF山口蛍がヴィッセル神戸へ、日本代表にも招集されたFW杉本健勇が浦和レッズへ、GK以外の全ポジションでプレーできる山村和也が川崎フロンターレへそれぞれ移籍した。北海道コンサドーレ札幌で12ゴールをあげたFW都倉賢の加入こそ決まったものの、現時点で直面しているのは荒波の方が大きい。それでも森島社長は、テーマにすえた一丸を強調した。 「今後もセレッソで、という思いはありましたけど、プロサッカー選手として大事にしなければいけない思いや選択がある。離れていった彼らには新しいクラブで活躍してもらうことで、それが残った選手たち、そして新しく入ってくる選手たちの大きな刺激にもなる。決して選手任せにするのではなく、選手たちが主役として輝ける環境を作っていく責任を自分が背負わなければならない。その意味でも、厳しいご意見もうかがいながら、しっかりと背筋を伸ばしてやっていきたい」 時間の許す限りメディアの質問に応対した新社長の胸中を、玉田前社長は「私が言うのもおこがましいけど、セレッソへの恩返しの意味合いもあるんじゃないかと思うんですね」と慮る。これまでのワールドカップ戦士が歩んだことのない道を、森島社長は現役時代と変わらない誠実さと腰の低さを前面に押し出しながら、愚直かつゆっくりと歩んでいく。 (文責・藤江直人/スポーツライター)