なぜ元W杯戦士の森島がセレッソ大阪社長に異例就任したのか。「監督が目標で最初は断った」
セレッソ大阪は21日に大阪市内で開いた臨時株主総会および取締役会で、日本代表の攻撃的MFとして1998年のフランス大会、2002年の日韓共催大会と2度のワールドカップに出場し、1ゴールを決めているクラブのOB、森島寛晃氏(46)の代表取締役社長就任を承認した。 玉田稔前代表取締役社長(65)の言葉を借りれば、セレッソの歴代社長はトップパートナースポンサーのヤンマー株式会社、もしくは日本ハム株式会社から「落下傘的にやってきて、3、4年務めて帰っていく」というサイクルが続いてきた。この日をもって退任した玉田前社長もヤンマー出身だった。 クラブOBの経営トップ就任は初めてであり、ワールドカップに出場した元日本代表選手が社長を務めるケースはJ3までを含めても前例がない。来シーズンのJ1を戦う18チームのなかでは、4年ぶりの昇格を果たす松本山雅FCの神田文之代表取締役社長(41)に次いで若い社長となる。 「自分の頭のなかには監督という目標がありましたが、クラブのなかで重要なポジションを任せたいというお話をいただきました。クラブ経営などの経験がない状況で非常に悩む部分があり、最初は丁重にお断りを入れましたけど、セレッソ大阪というクラブをいままで以上にいい方向にもっていく、という責任をもって務めさせていただく決断をさせていただきました」 大阪市内のホテルでメディアに対応し、所信を表明した森島新社長が最初に大役就任を打診されたのは10月中旬。ヤンマーおよび日本ハムの強い意向を受けた大抜擢であり、家族を含めた周囲に1ヵ月ほど相談した後に、いまも愛してやまない古巣の舵取りを担う覚悟を決めた。 森島社長は静岡・東海大一高から1991年に、セレッソの前身ヤンマーディーゼルサッカー部へ加入。幾度となく移籍のオファーを受けながらもセレッソひと筋でプレーし、2008年限りで引退した後はセレッソのアンバサダー、新設されたチーム統括部フットボールオペレーショングループの部長を務めていた。 その間に日本サッカー協会(JFA)が発行する指導者ライセンスをA級まで取得。残された最難関のS級を取得すればJクラブの監督を務めることも可能になるが、この日は「社長をやりながらライセンスを取りに行けたら、なかなかのことですけど」と、当面は夢を封印する覚悟と決意を明かした。 ここで素朴な疑問が残る。経営に携わったことのない森島氏に、なぜ次期社長として白羽の矢が立てられたのか。森島社長自身も青天の霹靂と受け止めたオファーに関して、黎明期のセレッソにフロントの一員として携わった玉田前社長は「強いクラブには歴史というか伝統がある」と言い、こう続けた。 「もっとわかりやすく言えば、GMがしっかり見ている、ということが必要になる。鹿島然り、川崎然り。その意味でウチはモリシ(森島)がポジションこそ違うけれども、ミスターセレッソとしてクラブを一から十まで知っている。加えて、選手ならではの目線や新たな視点でクラブの経営にあたってくれるという期待があったと思います。なので、彼の場合は誰も経験したことのない、長期政権になると思っています」