『マッドマックス:フュリオサ』ジョージ・ミラー監督 人間とは何かへの探究心に突き動かされる【Director’s Interview Vol.406】
低予算ながら世界にセンセーションをもたらした1979年の『マッドマックス』は、そこからシリーズ3本目の『マッドマックス/サンダードーム』(85)まで作られ、一時は完結したかと思われた。しかし30年後、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(15)で大復活! 同作はアカデミー賞作品賞などにノミネートされ、6部門受賞という快挙をなしとげる。このように長いブランクを空けてシリーズが継続した例は他にもあるが、1作目から監督が変わらないというのは珍しい。『怒りのデス・ロード』から9年後。5作目となる『マッドマックス:フュリオサ』も、もちろん監督はジョージ・ミラーだ。 『怒りのデス・ロード』でシャーリーズ・セロンが演じたフュリオサ。その過去を描く新作で、ジョージ・ミラーはまたしても「マッドマックス」の世界観を次のステージへと切り拓いた。新たなキャストたちと仕事をする喜びや、監督ならではの苦労、そして訴えかけるテーマなどを、ミラーがグローバルのオンライン会見で明かした。
『マッドマックス:フュリオサ』のあらすじ
世界崩壊から45年。バイカー軍団に連れ去られ、故郷や家族、人生のすべてを奪われた若きフュリオサ。改造バイクで絶叫するディメンタス将軍と、鉄壁の要塞を牛耳るイモータン・ジョーが覇権を争うMADな世界〈マッドワールド〉と対峙する!怒りの戦士フュリオサよ、復讐のエンジンを鳴らせ!
俳優は一流アスリート。私は勝利に導く立場
Q:『マッドマックス』の世界に人々が熱狂し、『怒りのデス・ロード』でその熱狂がさらに加速したわけですが、数十年にわたってこの世界観が人々に愛される理由は何だと思いますか? ミラー:その理由は私にもよくわかりません。わからないからこそ、この物語を語ることを止められないのだと感じます。これは、ある種の“寓話”です。アメリカで西部劇が寓話として愛されるように、「マッドマックス」の世界は民話や神話、宗教的な物語として時代や国を超えて親しまれるのかもしれません。 Q:この『フュリオサ』が絶賛される理由のひとつに、クリス・ヘムズワースのキャスティングが挙げられます。フュリオサの運命にも深く関わる暴君のディメンタス将軍役には、もともと彼をイメージしていたのでしょうか? ミラー:クリスの才能は熟知しており、初期段階から彼以外にディメンタスを演じられる俳優はいないと思っていました。まぁ直感ですが……。そしてクリスに実際に会って、その人間性と演技のアプローチで多面性がある人だと認識し、撮影現場で何が起こっても、面白いことになると確信できたのです。 Q:ディメンタス将軍のイメージは、クリスが演じたことで大きく変化しましたか? ミラー:ディメンタスは、ローマ帝国の英雄やチンギス・カンのように大軍を率いる略奪者でありながら、ある種のエンタテイナーです。クリスにオファーする前に作っておいたコンセプトアートを見せたところ、彼はキャラクターを理解しながら、「鷲鼻にしたらどうか」などアイデアを出してきました。最終的なディメンタスの容姿で、初期のコンセプトアートが反映されたのは、(つねに携帯している)テディベアのぬいぐるみくらい。当初のアイデアを、演じる俳優が進化させたわけです。映画で集められる俳優たちは一流のアスリートと同じような才能を持っています。私は彼らが競技で勝てるように導く立場ですが、実際に勝てるかどうかは彼ら次第。今回はそこがうまく行ったと言えるでしょう。 Q:一方でタイトルロールを演じたアニャ・テイラー=ジョイも、クリス・ヘムズワースに劣らぬ存在感を発揮しています。 ミラー:アニャに関しては『ウィッチ』の短いシーンをいくつか観て、知っている程度でした。しかしエドガー・ライトから『ラスト・ナイト・イン・ソーホー』の初期のカットを観せてもらい、彼女の説得力のある演技に打ちのめされたのです。エドガーに相談したところ「アニャならあなたの要求に応えられる」と言ってもらえました。そして彼のその意見は正しかった。このフュリオサは本当に難しい役です。『怒りのデス・ロード』と同じように、彼女はほとんど何も話しません。少女時代を過ごした“緑の地”について語ることは、故郷を危険にさらすからです。さらに彼女は男性のフリをして行動するパートもあり、それらすべてをアクションだけで表現するという難題をアニャは見事にやってのけました。