『マッドマックス:フュリオサ』ジョージ・ミラー監督 人間とは何かへの探究心に突き動かされる【Director’s Interview Vol.406】
観客の視点が集まる部分には実物を使いたい
Q:あなたは若い頃に医学の学位を取得しています。その知識は「マッドマックス」の世界、および映画作りに何か役立っていたりしますか? ミラー:いま改めて気づくのは、子供の頃に医学に興味を持った理由と、映画を作り続けている理由の共通点です。それは「私たち人間は何者なのか」に対する探究心。医師として患者を診断する際は、病歴を確認するわけですが、そこに患者それぞれのストーリーが浮かび上がります。また医療のひとつに出産がありますが、ジョゼフ・キャンベル(神話学者)が語るとおり、女性が私利を放棄して出産することには英雄的な資質が伴います。いかにも映画的でしょう。さらに最高の医療を行うには、同じ志を持ったチームが必要で、まさに映画作りの現場と同じ。みんなのエネルギー、そして自分のエネルギーをどこに集中させるかが重要なのです。映画を撮っていると、さまざまな問題をトリアージ(優先順位を決めること)しなくてはならず、若い医師だった時に私にとって最も切迫した課題と似ていますね。 Q:45年前の『マッドマックス』の時代から、デジタルのテクノロジーは進化してきました。本作において、アナログとデジタルの関係にどう向き合いながら撮影したのでしょう。 ミラー:まず言っておきたいのは、私が最も集中するのはストーリーであること。映画製作におけるこの優位性は絶対的です。そのうえで撮影のツールをどう駆使するかに興味が移ります。たしかに45年前は、すべてアナログ作業で、現在の撮影プロセスとまったく違いました。映画が誕生した130年前から、サイレントの時代にも傑作は誕生してきましたが、今ではすべてデジタルでの作業が可能です。9年前の『怒りのデス・ロード』に比べても、映像に変化を加えるプロセスの進化を実感しています。しかしスクリーンで観客の焦点が合うもの、つまり人間や乗り物に関しては、すべて“本物”を使って撮影する必要があると、私は信じています。 Q:CGIは必要最小限に抑えたいわけですね。 ミラー:そうですね。たとえば本作では、砂嵐の中でディメンタスがビークル(乗り物)に乗り込むシーンがありますが、強風を起こす装置を使っても限界があります。しかも風をコントロールすることは難しいわけで、観客にとって“周辺視野”となる砂嵐の部分はデジタルで処理するという判断になるわけです。 Q:オーストラリアでの撮影で、最も苦労したのはどんな部分だったのでしょう。 ミラー:『怒りのデス・ロード』も当初はオーストラリアで撮影する予定でした。しかし予期せぬ大雨によって砂漠が花畑に変わってしまい、アフリカ西海岸のナミビアに変更になったのです。結果的に、それは正解でした。今回は、さまざまな風景が必要で、それらをオーストラリア内でふさわしいロケーションを見つけることができました。この物語の舞台は、人類の秩序が崩壊して40~50年後の世界です。近年の気候変動の影響でオーストラリアの“半乾燥”地帯はますます砂漠化が進み、本作の撮影にふさわしくなったのは皮肉でしょう。今回最も大変だったのは、撮影の大所帯の管理だった気がします。クレジットを見ればわかりますが、撮影スタッフは約1200人。3~4の撮影ユニットに分かれてはいるものの、その人数がロケ先の町から町へと移動するわけです。これらを軍事演習のごとく管理するのも私の仕事でした。小道具や衣装などの“物流”もスムーズに行うことで、キャストやスタッフに最高の仕事をしてもらうのです。結果的にうまく運べたことは、幸運の一言です。