『最高の外交官』中国のパンダ外交から見える思惑「日本がパンダが欲しいとなったら、もれなく習近平国家主席が来る」武田一顕さんに聞く現状
中国のパンダ外交。最近は欧州やアメリカとも行っていますが、日本には長らく新たなパンダは来ていません。パンダ外交の歴史を振り返るとともに、現状についてジャーナリスト武田一顕さんに話を聞きました。 【映像で見る】阪神・淡路大震災後に神戸にやってきたパンダ「タンタン」…追悼式に多くの人
神戸・王子動物園のタンタン追悼式
5月10日、神戸市立王子動物園で、今年3月に死んだメスのジャイアント・パンダ「タンタン」の追悼式が行われました。 タンタンがやって来たのは2000年、阪神・淡路大震災で被災した子どもたちの心を癒してあげたいと、中国から貸し出されました。2020年に中国への返還が決定しましたが、新型コロナウイルスの感染拡大で延期に。翌年には心臓疾患が判明して、中国に帰ることなく治療に専念していました。そして今年3月31日に28歳で死にました。人間でいうと100歳近い年齢でした。
中国のパンダ外交の歴史
貴重なパンダを『友好の使者』とする中国のパンダ外交。一体いつから始まったのか?その歴史を紐解くと、1930年代にアメリカにパンダブームを巻き起こした1頭のパンダ「スーリン」の存在がありました。 1937年、初めてアメリカにやってきたパンダを紹介するニュース映像。このパンダが初めて海外へ渡ったパンダなのですが、実は国が贈ったものではなく、アメリカ人女性が現地で生け捕りにして連れ帰ったものでした。これをきっかけにアメリカでは世界初のパンダブームが巻き起こります。 そこに目をつけたのが当時の中国・国民党政権。1941年、国民党のトップ蒋介石の妻・宋美齢氏が計画して、アメリカにパンダ2頭が贈られました。中国による初めてのパンダ外交です。活発化するのは1970年代。国民党に変わり政権を握った中国共産党が、国交正常化に動いたアメリカなど8か国にパンダを贈ります。
日中国交正常化でパンダが来日
そして日本も1972年、日中国交正常化を果たすと、初めてのパンダがやってきます。上野動物園に来たカンカンとランランです。公開初日にはその姿を一目見ようと、日本中から約5万6000人が訪れ、行列の長さは2kmにも及びました。その後も上野動物園には中国からパンダが贈られ、日中の架け橋としてパンダは不動の地位を築いていきます。