【“女の涙は武器”は通用しない】どんな場面で泣いても“野望のための涙”にしか見えない!?
人気連載「齋藤薫の美容自身 STAGE2」。今月のテーマは「泣き方には、人間性が露呈する。だから、自分のためだけに泣く人々の危うさ」の後編をお届け。
もはやどんな場面で泣いても“野望のための涙”にしか見えない
あなたはよく泣く人だろうか? そして、どんな時に泣く人だろうか? 改めて見直してみてほしい。自分のためだけによく泣く人は、ちょっと注意が必要。 今も忘れられないシーンがある。いわゆるチャリティー番組で、ハンディキャップのある人のさまざまなドラマを見せられることで、出演者のほとんどが涙する中、MCの一人である女優が毅然としたまま、涙も見せずにいた。この人はよくよく泣かない人なんだと誰もが思ったはずだが、番組が終わった後、よく頑張ったねと労(ねぎら)われた途端、大号泣したらしい。 それは当時、立派に役割を果たしたとして評価する声もあったものの、違和感を覚えた人もいたはずなのだ。それからずいぶん時間が経って、その人が不倫問題で大きなスキャンダルを巻き起こし、その対応等が批判を受け、休業状態になっているのを見た時、ふとその話を思い出してしまった。やはり自分のためにだけ泣く人だったのではないかと。 もちろん、仕事中は泣かないよう堪えていたのかもしれない。大きな重圧から解放された瞬間、感極まったのかもしれない。とはいえそこで、“人の痛みに対しては涙が出ないタイプ”と思わせてしまう気配を放ったのは確かなのだ。 まったく別の意味で、“自分のためだけ”どころか、“自分の野望のため”にこそ泣ける体質が一時期異例の注目を集めてしまったのが、メーガン妃。英国王室を離脱し、アメリカへと脱出。トーク番組で、王室から差別を受け、マスコミの誹謗中傷にも自分を守ってくれなかったと訴え、涙した。「もう生きていたくなかった」と、自殺願望があったことも口にしながら。 「女の涙は武器」という言葉があるが、これは今の時代もう通用しない。武器になるからこそ、不用意に使ってはいけない、それが現代社会のマナーとなった。自分が悲しむ姿を人に見せると、本当の悲しみは伝わらない。どうしても、被害者意識や悔しさに見えてしまうのだ。そうそう、とりわけ仕事場では泣いてはいけないのも、たとえ自分が情けなくて泣いたのであっても、やっぱり被害者アピールか悔し涙に見えてしまうから。そしてまた男女複数いるコミュニティーの中で一人だけ泣き出すと、それこそ「ワニの涙」になってしまうから。 かくして大人になったら、意識して、もう自分のための涙は流さないこと。もちろん一人で泣くのはあり。溜まったストレスが体外に排出できるから。でもできるなら、喜びの涙や感動の涙、そして他人のための涙を流そう。そう心がけるだけで、人生はとても美しいものになる。不思議だけれど、幸せな人は、自分のためには泣かない。そして人より感動の涙が多い。それだけは確か。だから逆に、自分がいつどんな時に誰のために泣いたかを振り返って、自分はどんな女なのか、どんな人生になるのか、占ってみてはどうだろう。泣き方には、人間のすべてが露呈するのである。 撮影/戸田嘉昭 スタイリング/細田宏美 構成/寺田奈巳 Edited by VOCE編集部
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