「ホンダが日産を買収」説があり得なくはない理由、ゴーン氏は「ホンダの“偽装買収”に発展」と指摘
まずは、3月に公正取引委員会が日産に下請法違反の勧告を行ったことで、いわゆる「下請けいじめ」問題が表面化した。事業構造改革推進によるコスト削減が、サプライヤーへのいじめにつながっているのではないかと問題視されたのだ。 また、6月の株主総会でも波乱が生じた。内田社長が下請法違反の問題を陳謝して社内での対応策を示したものの、株主サイドからは、低迷する株価対策やルノーとの新資本関係の対応、ホンダとの提携模索動向など、そのほかについても厳しい質問が相次いだ。 7月に発表した25年3月期第1四半期(4~6月)決算は、営業利益10億円、前年比99%減という衝撃的な減益となった。内田社長は、この時点で中国の市場変調と米国での収益不振を挙げて、通期業績の下方修正を発表していた。 そうした波乱を経て、今回の決算である。不調のサインはこれまでにも生じていたが、そこに追い打ちをかける格好で、致命的な業績悪化が吹き上がったというわけだ。 SNSでは批判の声も高まっている。内田社長は報酬を減額する意向を示したが、日産の24年3月期の有価証券報告書によると内田社長の報酬は6億5700万円であり、半額でも3億2850万円だ。この巨額を手にしながら経営責任とは?と、話題になっているのだ。
実は、内田体制の1年目も、巨額赤字の計上によって役員報酬を減額することからスタートしている。結果的に内田体制が5年経過しようとする間に、日産はまたも業績不振に陥り、成長路線どころか、グローバル生産20%削減と9000人のリストラに着手せざるを得なくなった。まさに「元のもくあみ」といったところだろう。 ● 出鼻からつまずいた内田体制 一方でホンダ提携などの新方向づくりも ここで、内田日産体制が19年12月にスタートしてからの5年弱を振り返ってみたい。 まず、内田体制は始動時からつまずいた。 内田社長の就任とともに、仏ルノー出身で三菱自動車工業COO(最高執行責任者)のアシュワニ・グプタ氏がCOOに、さらに日産生え抜きで生産畑の関潤氏が副COOに就き、トロイカ体制でスタートした。 しかし、内田社長が予想外の“抜てき人事”だった一方、“本命視”されていた関氏はナンバー3にとどまった。その結果、当時の日本電産(現ニデック)の永守重信会長が関氏を後継の社長含みで直接勧誘し、12月末に関氏が電撃移籍してしまったのだ(その後、関氏は台湾・ホンハイに移籍し、ホンハイのEV〈電気自動車〉事業責任者に就任している)。 早くもトロイカ体制は崩れ去り、内田社長とグプタCOOの「2頭体制」で事業構造改革を実行することを余儀なくされた。この間、グプタCOOの実務推進力もあって、コストダウンと収益力向上は順調に進んでいく。