火薬を詰めた箱を背負って…「人間爆弾」となりアメリカ戦車に体当たりした日本兵たち #戦争の記憶
空を震わせた敵艦砲の破裂音
4月27日となり、夜の明けぬうちに洞窟を出た。暗闇の中に静かに横たわる沖縄の山々は、一幅の墨絵のようだ。しかし、この静寂も、鉄火の洗礼の下で、様相を一変させるだろう。私にとっては軍人を志して以来の初戦である。感慨は、明け初めてきた空を震わせる敵艦砲の破裂音によって破られた。 戦いの火蓋が切られたのだ。 日が高くなると、敵の陸上砲兵の集中砲火が強まり、一足先に突進していた大山昇一中尉率いる第2中隊のいる小波津(こはつ)西側の丘に設けた野戦陣地へ向けられた。砲火は熾烈を極め、土煙に包まれて何も見えない。 やがて延々と続いていた砲声がパタリと止んで、銃声が聞こえ始める。前進する敵の歩兵へ、大山隊が応戦しているのだ。 「大山隊戦闘開始!」 伝令が叫びながら、大隊本部へ飛び込んできた。 ただちに命令を発す。 「各隊は計画に基づき戦闘を実行すべし」 この時から、我が大隊の将兵を地獄へ引き込む戦端が、亜熱帯の山野を舞台に開かれた。
爆弾を背負って、米戦車に体当たり
第2中隊に所属する田中幸八上等兵も、この激戦の最前線で配置についていた。米軍の物量による攻撃はすさまじく、砲撃が止むと、すぐ目前にまで戦車や歩兵が迫ってくる。それに対し、連隊砲が頭越しに砲撃を開始。友軍の射撃は正確で、敵戦車が一両、また一両と破壊され、動けなくなる。 「よし、いいぞ!」 タコツボに身を屈めていた田中上等兵が思わず声を上げた。入営まで、大口径の火砲などを製造する大阪の陸軍造兵廠で働いていたので、自軍の砲の活躍は自らの手柄のように誇らしかったようだ。 しかし、敵の戦闘意欲は侮りがたく、次々と新しい戦車が前方や側面から出現、独特の地響きを立てながら前進し、頻繁に砲撃してくる。その後ろには一定の距離をおいて歩兵が随行し、戦車へ走り寄って肉薄攻撃を仕掛けると、狙い撃たれるのだ。 ゆえに我が軍の歩兵の対戦車戦は、タコツボや通行壕の中に身を潜めてじゅうぶんに引き付けてから、磁力吸着式の破甲爆雷や背負子(しょいこ)がついた急造爆雷などで立ち向かう。ただ、連発式の自動小銃など、最新の武器を手にした後続の歩兵は、とてつもなく手強い。だから、ギリギリの間が勝敗を分けるのだ。