追悼 ピーコさん 仕事もプライベートも、いつも愛を持って叱ってくれた人。その言葉は私の人生のトリセツです
◆仕事ぶりを度々叱ってくださった 私が22歳でTBSラジオの仕事を始めた当時、おすぎとピーコさんのお二人は、『久米宏の土曜ワイドラジオTOKYO』というTBSラジオの土曜日の午前から夕方までの生ワイドの最終コーナーで、映画情報を担当されていました。 私は、ラジオカーに同期の女性キャスターと乗車し、各地からの情報をスタジオに届ける”外回り“を担当していたのです。 番組終了後は、久米さんをはじめ、出演者や制作スタッフらが局内で反省会を行っていて、私たちキャスターも終盤、合流していました。 おすぎとピーコさんは私たちにとって、初めて間近に見る有名人でありましたが、素人感覚が売りだった私たちキャスターの仕事や取り組み方をよく見ていてくださり、度々、叱ってくださったのです。 それはいま、マツコ・デラックスさんがCMイベントに登壇されるとき、囲んだ顔見知りの芸能リポーターの女性たちに「ババアたち、また来たのね?」と言いつつ、愛あるツッコミをなさる様子に似ています。
◆掛け替えのない宝物とその原点 実は私が2007年、日本テレビで構成を担当していた『おネエ☆MANS』や、それに続く『魔女たちの22時』という番組は、20代の頃、おすぎとピーコさんに出会ったことが“元”になっているのです。 『おネエ☆MANS』といえば、今年5月22日に急逝された「マジー」こと真島茂樹さんにも出ていただいていました。『マツケンサンバ2』の振付師としても有名なマジーさんの「お別れ会」には、『おネエ☆MANS』に出てくださっていたファッションプロデューサーの植松晃士さん、ヘアメイクアーティストの平澤隆司さんらが出席され、IKKOさんはマジーさんに宛てたお手紙で、「私たちにとって大切な番組」として『おネエ☆MANS』を綴ってくださいました。 いまも日本中を一瞬で明るくしてくださる『マツケンサンバ2』の2コーラス目に登場するはずだったマジ―さんの姿が見られないことは、私にとっては本当に辛くて悲しいことです。お優しくて、「好き」とか「嫌い」という感情をとても大切にされ、御自身が切り拓いたお仕事に関して揺るぎない想いをお持ちだったマジ―さん。あの方をはじめ、假屋崎省吾さんやマロンさん、チャーリー礒崎さん、別府武彦さん、如月音流さん、花柳廸彦太さんらと、あの時代にお目にかかれて、近しくさせていただいていたことは、いま私の掛け替えのない宝物になっているのです。 その原点ともいうべき存在が、おすぎとピーコさんでした。