義援金が1円も支払われなかった事例も…「フィリピンパブ」「技能実習生」など震災で亡くなった外国人に迫るノンフィクション #知り続ける(レビュー)
東日本大震災から13年……日常のはかなさと、生きる人間の強さに触れるノンフィクション『涙にも国籍はあるのでしょうか―津波で亡くなった外国人をたどって―』(新潮社)が刊行されました。 あの日、津波で亡くなった外国人は、東北の地でどのように生きたのか? ルポライターの三浦英之さんが現地を訪ね歩き、彼らの生き様、そしてともに生きた日本人たちの思いを拾い集めて上梓した一冊です。本書の読みどころを、作家の石井光太さんが紹介します。 *** 本書のタイトルを初めて目にした時、私は著者の三浦英之氏に次のように言われたような気がした。 ――あなたは、東日本大震災について今まで何をやってきたのでしょうか。 2011年3月11日、東日本大震災が起きた時、私も一介の物書きとして三浦氏と同じように被災地に足を運び、ルポルタージュを書き綴っていた。 避難所や遺体安置所を訪れる度に真っ先に目に留まったのは、死亡者・行方不明者リストだった。死亡が確認されたり、行方がわからなかったりした人の名前がリストとなって掲示されていたのである。 リストの中に、外国人らしき名前を見つけたことがある。その時、私の脳裏にはいくつもの疑問が浮かんだ。 なぜこの人は外国から東北の沿岸の町にやってきたのだろうか。母国の家族は知っているのだろうか。配偶者や子どもはどうしているのだろうか。 しかし私はその名前を一度もメモすることもなく、日本人の被災者だけを追いつづけた。大手メディアが目を向けない人やテーマを取り上げることが、書籍としてのノンフィクションの一つの役割りであるはずなのに、私は目をそらしたのだ。 きっと、その時の体験がずっと私の胸に引っかかっていたのだろう。だから、本書のタイトルを見た時、罪悪感にも似た感情が沸き起こったのかもしれない。 今回、三浦氏が向き合ったのは、東日本大震災における外国人の死だった。 あれだけ多くの検証がなされたはずなのに、国は東日本大震災における外国人の死者数を正確に把握していなかった。三浦氏はそれを知ったのをきっかけに、東北の沿岸部を回りながら故人の素性を一人ひとり明らかにしていく。 現在、国や自治体は、東日本大震災の教訓から様々な防災対策を作っている。だが、本書を読んで感じるのは、それらが本当に弱い立場の外国人にまで向けられているのかということだ。 そもそも、外国人は災害から身を守ることにおいて圧倒的に不利な立場にある。大地震にせよ、大津波にせよ、迫りくる危機から逃れるには、正確な情報を手に入れ、適切な判断をすることが求められる。東日本大震災の場合であれば、地震が起きてから津波が到着するまでの数十分でそれをしなければならなかった。だが、外国人は、語学力の問題でそれが難しい。 たとえば、日本語で簡単な会話ができる外国人なら、「大きい波が来るので高いところへ逃げてください」と言われれば理解できるだろう。だが、防災無線やラジオではそのような表現はしない。「大津波警報が発表されました。6メートルの津波が予想されます。すみやかに高台へ避難してください」などと表現する。こうなると、情報を正確に理解できる人は限られる。