義援金が1円も支払われなかった事例も…「フィリピンパブ」「技能実習生」など震災で亡くなった外国人に迫るノンフィクション #知り続ける(レビュー)
本書には亡くなった外国人が従事していた職業として「フィリピンパブ」「技能実習生」「配送業」などが挙がっていた。現在、地方のサービス業や一次産業は、外国人なしでは成り立たなくなりつつある一方で、彼らの日本語能力は決して高くない。今の防災対策には、こうした外国人の存在がどれだけ想定されているだろうか。 また、死後の補償についても考えさせられた。 大津波で亡くなったあるフィリピン人女性がいる。彼女は、日本人男性と同じ家に暮らし、夫婦同然の関係だった。震災後、彼女の友達は日本政府や支援団体から支払われる義援金を、故人がフィリピンに残した娘に送ろうとしたが、日本人と婚姻関係がないという理由で義援金が一円も支払われなかったという。 なぜこんなことが起こるのか。義援金の支払いルールを作る際、内縁の外国人がいるという想定が抜け落ちていたのだろう。フィリピンに残された娘が貧しい生活をしていた場合、義援金のあるなしで人生が大きく変わることは想像に難くない。 外国人の死を一つひとつつぶさに明らかにしていくことは、今の日本が抱える制度の歪みに光を当てることに等しい。将来的に労働力を外国人に頼らなければならない日本にとっては、それは避けて通れないことだ。よく「犠牲者の死を無駄にしない」と語られるが、それは外国人の犠牲者においても同じであるはずだ。 ただ、本書の俊逸なのは、そうしたことと並行して、亡くなった外国人たちが生前に日本に抱いていた愛情、日本人との温かな交友、災害時に見せた勇気に大きく光を当てている点だろう。 亡くなった外国人たちの日本での生き方は、震災後に彼らの家族や友人だけでなく、大勢の人たちにバトンのように広がっていった。そしてそれが今を生きる人々の心の支えや希望になっている。 それが何なのかは、あえてここでは書かない。本書を読んでほしいからだ。 ただ、私は本書を最後まで読んだ時、外国人の死を記録した本なのに、とても温かな気持ちになったことだけは書き添えておきたい。それは本書に、亡くなった外国人たちの真っ直ぐな生き方と、それを次の世代につなごうとする三浦氏の真摯な想いが溢れているからだろう。 [レビュアー]石井光太(作家) 1977年生れ。国内外を舞台にしたノンフィクションを中心に、児童書、小説など幅広く執筆活動を行っている。他の著書に『物乞う仏陀』『神の棄てた裸体』『絶対貧困』『レンタルチャイルド』『地を這う祈り』『遺体』『幸せとまずしさの教室』『蛍の森』『世界の産声に耳を澄ます』などがある。 協力:新潮社 新潮社 Book Bang編集部 新潮社
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