「みんなが敵に見えた」1980年の判決で袴田巌さんの死刑が確定。57年後に手にした<無罪>を姉・ひで子さんが喜び伝えるも、巖さんに反応は無く…
◆驚きの「検察は偉かったよ」 3月20日。東京高検前で弁護団はもちろん、新田渉世氏、元日本ジュニアフェザー級王者の真部豊氏らボクシング関係者、日本国民救援会の瑞慶覧淳氏ら支援者たちは、最後まで抗告断念を訴え、山崎さんも支援者らと最後の「座り込み」を行っていた。 筆者は約束していた午前10時に、浜松市のひで子さん宅を訪れた。巖さんは食卓で朝食のデザートを食べた後、テレビのある部屋に戻った。外では若い記者やカメラマンたちが大勢、待機している。 4時から東京の記者会見にリモートで登場するとのこと。「じゃあ、その様子を取材したいので、夕方また来ます」とお願いすると、ひで子さんは「どうぞ、どうぞ」。 午後4時に再訪すると、ひで子さんと「袴田さん支援クラブ」の猪野待子さんが居た。自分でパソコンを扱えるひで子さんは、東京の記者たちとのリモート会見の準備をしていた。 会見が始まり、ひで子さんの様子を撮影していた。午後4時半前、猪野さんがひで子さんを「来てえ、おねえさーん」と玄関に呼んだ。 そして、「抗告断念だって」と叫んだ。東京にいた同クラブの白井孝明氏からの一報だった。 「やったあ」と声を上げ、玄関に貼ってある巖さん主演のドキュメンタリー映画のポスターの前で抱き合い小躍りする2人を撮った。そのうち、巖さんが地元支援者の清水一人さんが運転するドライブから帰宅した。
◆巖さんはソファにどかっと腰を下ろした ひで子さんは、「よかった。よく頑張った。偉かった。もう安心しな。巖の言った通りになったね」と駆け寄り、頬を寄せんばかりに伝えた。 本人はぽかんと座っていた。 報道陣としてその様子をスクープ撮影できた。この写真は『週刊金曜日』の表紙を飾った。 次々とかかる祝福の電話にひで子さんは「検察は偉いよ、偉いよ」と言っていた。耳を疑った。なんという懐の深さか。KOチャンスに相手を追いこまない弟と同じだった。 「世界一の姉」に握手を求めた筆者は、思わず涙ぐんだが、ひで子さんは笑っていた。外で待つ報道機関のため、ひで子さんは青空会見をした。 猪野さんもこの日の様子を説明し「ひで子さんが喜んで伝えても、巖さんは反応がなかった。対照的だった2人の姿こそが、この事件の残酷さを象徴していると感じました」と話した。 ※本稿は、『袴田巖と世界一の姉:冤罪・袴田事件をめぐる人びとの願い』(花伝社)の一部を再編集したものです。
粟野仁雄
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