「みんなが敵に見えた」1980年の判決で袴田巌さんの死刑が確定。57年後に手にした<無罪>を姉・ひで子さんが喜び伝えるも、巖さんに反応は無く…
◆東京高裁の決定(要約) (1)犯行時の着衣の血痕の色調変化に関する弁護側の実験や鑑定書は信用できる (2)弁護側の衣類の味噌漬け実験の結果は「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」に該当し、袴田巖元被告を犯人とした確定判決に合理的な疑いが生じる (3)犯行時の着衣は捜査機関が事実上、捏造した可能性が極めて高い (4)再審開始として死刑と拘置の執行を停止した静岡地裁決定を支持する 「市民の会」(楳田民夫代表)の山崎俊樹事務局長が血痕の色の変化を確かめるために20年かけて実施してきた「味噌漬け実験」が司法の場で評価された。 これだけ重要な裁判で一市民の実験を裁判所が評価するのは異例だ。 山崎氏は「素人の実験を認めてくださりありがたい。味噌に漬けた血痕がどうなるかという研究などをした専門家はいないので、私たちの実験が唯一無二だったからでしょう」と謙遜した。 検察側も味噌漬け実験の写真は、白熱灯で照らして撮影したため赤みが残って見えた。しかし、大善裁判長が静岡地検に行き、実験を直接確かめた。 間光洋弁護士は「裁判官が直接見てくれなかったら検察写真でごまかされたかもしれない」と振り返る。 書面審理、法廷審理に追われる中、現場に出向く裁判官は稀有だ。とはいえ、9年前の再審開始決定と比べると、「最高裁の前例に抗って」の決定ではない。その意味ではハードルは村山決定より低かったかもしれない。
◆再び見せた涙 翌日、ひで子さんは参議院議員会館で開かれた弁護団の報告集会に参加した。「袴田巖死刑囚救援議員連盟」の塩谷立会長はじめ、鈴木宗男さんと娘の貴子さん、福島みずほさんら国会議員らが次々と挨拶した。 ひで子さんは 「巖にはまだ決定のことは言ってません。『再審開始になったよ』と言ってもわからないでしょうから、『すごくいいことがあったよ』と伝えます。本当にありがとうございました」 と再び声を詰まらせた。 えん罪被害者や支援者らも続々と発言した。「布川事件」の桜井昌司さんは 「本当によかった。(ひで子さんを)よく見たら泣いているんですよね。でも私は腹が立っている。なんでこんなに長いんですか。再審開始のハードルを下げるとかいうことを検察が言っているとか聞きますが、そんなことは検察が決めることではなく国民が決めること。あの人たちが司法を動かしているように言うのは大間違い。常識があれば真空パックなどにしますか」 と憤った。桜井昌司さんはこの5か月後の8月に亡くなった。享年76歳。 大阪市東住吉区の女児焼死事件の青木惠子さんは「私は2014年に獄中(のテレビ)で巖さんの釈放を見ました。無期懲役の私には死刑囚の袴田さんの辛さはわからないけど、私も(無罪の決め手は)再現実験でした。仲間が勝つことは本当に嬉しい」などと語った。 『それでもボクはやってない』 (2007年)の映画監督の周防正行さんも登場。 「袴田事件は、そもそも捜査に著しく違法性があり、取調べでの違法性は明らか。(現在でも、取調べの)録音・録画は裁判員裁判や検察の独自捜査などに対象が限定されている。録音・録画を行っても違法な取調べが何件もあり、弁護士の立会いの法制化など見直しを進めるべき」と話した。
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