「みんなが敵に見えた」1980年の判決で袴田巌さんの死刑が確定。57年後に手にした<無罪>を姉・ひで子さんが喜び伝えるも、巖さんに反応は無く…
◆「公益の代表者である検察」の紙切れ1枚にもならない短いコメント 日本プロボクシング協会袴田巖支援委員会の新田渉世委員長は、「決定のパンチで検察をロープ際まで追い詰めた。立ち上がって来るかもしれないが完全にノックアウトしましょう」と拳を握った。 プロボクシングヘビー級の草分けで、熱心に支援活動をしてきた市川次郎さんは質疑で「こういう時、どうして検察は記者会見に出てこないんですか?」と問題提起した。 決定後、東京高検は山元裕史次席の「検察官の主張が認められなかったことは遺憾。決定の内容を精査し、適切に対処したい」とのコメントを出しただけだ。 「公益の代表者」たる検察は、なぜ紙切れ1枚にもならない短いコメントで済ませるのか。市川さんの質問は、マスコミが「当然」と済ませていることへの重要な問題提起だった。 16日、浜松市のひで子さんに電話し、巖さんとのやりとりを尋ねた。 「『東京でいいことあったんだよ』と伝えましたけどね。巖はほとんど反応がなく、ポカンとしていて喜びもないような顔で何も言わなかったですよ。それでも新聞の一面に袴田事件が出ているからそれをじっと見ました。自分のことが書いてあるということだけはわかっているんですけど、何か言ったりはしませんし、私から感想を訊いたりもしませんでした」 「2014年の村山さんの決定の時はね、支援者の皆さんみんなが泣いていたけど、私はもう嬉しくて嬉しくて、ずっとニコニコしていましたよ。でも今回は泣いてしまいましたね。私も歳を取ってしまって涙腺が緩くなってしまったんですよ。きっと」 ひで子さんは電話の向こうでコロコロと笑いながら語ってくれた。
東京高検「抗告断念」の一報。その時、2人は… 東京高検の最高裁への特別抗告の期限は5日間(土日は除外)で、2023年3月20日の月曜日がそのリミットだった。 再審開始決定を一面で報じた3月14日付の毎日新聞朝刊には「検察側は最高裁に特別抗告する方針」と書かれていた。 決定は「捜査機関の証拠捏造」を指摘したため、メンツを重んじる検察は抗告するのではとも懸念していた。 捜査機関の発表に先駆けて報道することを業界では「前打ち記事」というが、相当の確度がない限り、トップ記事で「特別抗告の方針」とは書かない。筆者は特別抗告すると悲観した。 14日午後、参議院会館で院内集会(報告会)があった。弁護団の西嶋勝彦団長に駆け寄って「毎日新聞が抗告するって書いていますよ」と知らせると、「えっ、本当、そうなの。知らなかった」と驚いた。 経緯説明のため登壇した西嶋氏は「特別抗告するという報道もあるようだがけしからん話です」と怒った。
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