圧倒的なトルクを、意のままに支配する醍醐味。大排気量MTスポーツの面白さ【トヨタ GRスープラ×BMW M2】
【インプレッション】マジンガーZほどではないにせよ「強い」
なぜ、私たちはかくもクルマに執着するのだろうか。元を正せば「移動のツール」である。人と荷物を積み、遠くへ早く移動できる手段として、馬や牛の代わりに発明された。同時に人は、クルマにも馬と同じ魅力を見出したのだ。 移動ではなく「操る悦び」である。つまり「ドライビング」だ。 乗馬を経験された方ならば、なぜそれが楽しくて、趣味としてスポーツとして成立するのか、よくご存知だろう。全身を使って生物を操るというそれは、リアルに高性能な「身体の拡張」であった。 クルマは、生きものではないし、馬と違って意志も感情も持たない(クルマ運転好きはそれに近いことを見出そうとするが、ない)けれど、その代わり馬よりも大きく、重く、硬い。そしてかなり速い。 要するに、マジンガーZほどではないにせよ「強い」のだ。 個人的な身体の高性能な拡張性を持つ、という意味においてクルマほど強力な存在は他にない。しかも所有できる=いつ何時でも自由に使っていいのだ。カッコ良いから欲しいという欲望の根拠もまた、そういった強力な拡張性のひとつの結果でしかないだろう。
楽しさを引き出す操作につきまとう現代のジレンマ スポーツとは、身体を動かす遊び=楽しいことだ。そう考えると、人類史上最高の個人的身体拡張ツールであるクルマを使った楽しいこともまた、できるだけ自分の身体を駆使した方が楽しいと人は思えるのではないか。 手足を駆使し、脳をフルに回転させて大きな金属+αの物体を操りながら、一体となって走る。速さのみを求めるのではなく、楽しさを最大限に引き出したいのであれば、そのクルマは両手両足を使う3ペダルのマニュアルトランスミッション(MT)車でなければならないことは明白であろう。 そんな楽しい「3ペダルMT車」を、なぜかくも安易に我々は手放そうとしているのだろうか。ひとつには、クルマが再び本来の用途=移動のツールであることを「思い出して」、工業製品として真面目に実用の進化を遂げたため、だ。 移動のプロセスには、さまざまな弊害=事故や環境破壊などがあって、楽しむこととどうしても対立してしまう。楽しむことよりも優先されるべきことがあった、というわけだ。 もうひとつには、趣味の領域にあった当のスポーツモデルがその付加価値=高性能をあまりに高めすぎた結果、人の物理的な操作では追いつかず、新たな頭脳=コンピュータを使った制御に頼らざるを得なくなったから、である。 もっとも、コンピュータ制御もまた身体の拡張機能として有効であるとも考えられるので、その判断は難しいところではあるが・・・。 ともあれ、楽しさは3ペダルマニュアルに尽きる、と私は思っている。幸い、世の中にはまだ、選び放題というほどではないにせよ、手足を駆使しなければ走らないMT車を新車で買うことができる。中古車なら山のようにあるとはいえ、新車がなくなれば、それもそのうち限られた人の手にしか渡らなくなってしまうので、メーカーが今も作ってくれているという事実はとても重要だ。