村田衝撃KOデビューの理由
「プレッシャーが凄い。柴田選手が動かなかったのではない。動かさない、逃げさせなかったんですよね。レベルが違いますね」 帝拳ジムの前WBC世界スーパーフェザー級王者、粟生隆寛が言った。 敗者の控え室では東洋王者の柴田が愕然としていた。 「ジャブに反応できなかった。パンチも強かった。すべてにおいて上をいかれた。僕の応援に来てくれた人に申し訳ない」 全世界共通の優れた格闘家にだけ備わっている肉体のアスリート力のようなものが、村田に備わっている。それは、このクラスの日本人には“ない”とされているものだった。厳しい書き方をするが“ない”ボクサーと“ある”ボクサーが対戦すると、こういう結末になるのだろう。 リングサイドにはWBA世界ミドル級チャンピオン、ゴロフキンとモナコで対戦経験のある石田順裕がいた。彼も同じ感想を口にしていた。 「力の差がありすぎました。あまりに柴田が何もできなかった。左のガードを上げずにカウンターがあるとも見せないから、あれだけ簡単に右が当たるんです。村田選手は、ガードが開くんだから、ツケ入るスキはあったはずなんですけどね。長所も短所も見えました。次は、僕とやってくれませんかね?」 試合後、すぐにテレビ解説席に呼ばれていた村田は、その足でスポンサーボードの前に置かれたイスにTシャツ姿で座った。綺麗な顔をしている。 「デビュー戦で相手が東洋王者ですよ。80点つけていいでしょう?」 それが村田の自己採点であった。 月曜日からホテル暮らしをしていた。 プレッシャーはあった。減量の苦しさもあって眠れない夜もあった。 「なんでいきなり東洋王者なんすかね。僕もわかりません。罰ゲームですか?」 彼は、半分本気、半分冗談で愚痴っていた。 柴田とスパーリングの経験はある。その力はわかっていたし、対柴田用のプレッシャーをかけて、追い詰め、コンビネーションをまとめるという戦略にも自信があった。 「早い段階で一発当てれば、メンタルの駆け引きで下がるはずなんです。だから様子見なんてしません」 自分に言い聞かせるように語っていた。 「オリンピックで戦ってきたアトエフとかファルカンとかの方がどんだけ凄いねん」 アマチュア時代の世界の強豪と柴田を比較して自分を納得させたりしていた。 暇があれば、妻から送られてきた息子の動画を見ていた。 彼は2歳になる一人息子の話をした。 「晴道は、パパっこなんですよ。いつも、パパ、パパでね。今、嫁を実家に帰しているんですが、『パパがいる家に帰る!』とダダをこねるんです。可愛いでしょう」 1年前、ロンドン五輪の決勝の控え室でも息子の動画を繰り返し見ていた。 愛する我が子の顔を見ると、ネガティブなプレッシャーから解放されるのだ。