中3の頃に沖縄でスカウト、「毎日殺される夢を見た」ことも…20歳で『トリック』をヒットさせた仲間由紀恵(45)の“大きな転機”
主題歌を歌ったアニメで声優にも挑戦
上京した1995年にはテレビドラマ『日本一短い母への手紙2』で本格的に俳優としてデビューした。当時の仲間については、篠原涼子らを輩出したアイドルグループ・東京パフォーマンスドール(TPD)に一時在籍したという話も伝えられる。ただ、本人がのちに語ったところによれば、TPDは上京して半年ほど経ったころ、事務所の社長に「そろそろ歌や踊りのレッスンを始めたいんですが……」と申し出たことから紹介され、《実際はメンバーとして活動していたというより、レッスンを受けさせてもらっているという感じでした》というのが真相らしい(写真集『仲間由紀恵』集英社、2010年)。 「歌や踊りのレッスン」を希望したところからすると、当初は歌手になりたいという気持ちが強かったように思えるが、上記の写真集に収録されたインタビューで語ったところでは、《歌も歌いたいし、お芝居もしてみたい。やれるものがあれば、なんでもやってみたいという気持ちでした》という。実際、主題歌を歌った深夜アニメ『HAUNTEDじゃんくしょん』(1997年)では、声優もやってみる? と言われて出演もさせてもらっている。 高校時代は暇さえあれば、映画を観に行っていたという。映画館に通ううち気づいたのは、お客さんはわざわざ時間を割いて、お金も出して観に来てくれるのだから、自分が芝居するときは絶対に満足してもらえるよう一生懸命やらないといけないということであった。
毎日殺される夢を見るほどつらかった作品も
それもあってか、映画『ラブ&ポップ』(1998年)に出演したときには、「いい映画をつくるためにメインの女の子4人のなかで一番年上の自分がみんなをまとめなきゃ」と妙に責任感を抱いてしまったらしい。同作では現場でセリフが全部変わってしまうようなやり方に戸惑いもあり、苦しかったという。《でも映画が完成したあとの打ち上げでみんなに言われたんです。“仲間だけだよな、映画作ろうと思ってたのは”って。考えてみたらひとりで気負いすぎちゃってた。それからもっと適当でいいやって思うようになったんですよ》と、数年後に明かしている(『日経エンタテインメント!』1999年8月号)。 ただ、このあとも苦労は続き、映画初主演となった『リング0~バースデイ~』(2000年)では呪いのビデオで知られる貞子の前日譚を演じ、役にのめり込むあまり、撮影中は毎日殺される夢を見るほど精神的につらかったという(前掲、『仲間由紀恵』)。それが続いて主演した連続ドラマ『トリック』(2000年)は一転してギャグや遊びが満載で、仲間いわく《何のプレッシャーもないまま、楽しく撮影している自分がいました》(『キネマ旬報』2002年11月下旬号)。