昔は“意地悪じじい”だと思ってた「小倉智昭」が意識不明になって…「古市憲寿」が“弔辞”を書いた理由
「情報プレゼンター とくダネ!」(フジテレビ系)で長きにわたりMCを務め、“朝の顔”として活躍した小倉智昭さん(76)。小倉さんは膀胱がんを発症して2021年に「とくダネ!」を退き、その後抗がん剤治療を受けた際、危篤状態に陥っていたという。 社会学者の古市憲寿さん(39)はその話を聞き、即座に小倉さんと本を作ろうと決意したそうだ。それが最近刊行された二人の共著『本音』だ。共著、といっても古市さんは聞き手に徹し、小倉さんが一方的にしゃべる形になっている。二人は「とくダネ!」で共演しており、番組終了後も食事会などで会う仲だ。しかし、古市さんは番組出演前は、小倉さんを「意地悪じじい」だと思っており、一度は出演を断ったという。が、出演を通じて親交を深め、今は年の離れた友人のような関係になっている。 その古市さんが、なぜ小倉さんの“本音”を聞き出す本を出版したのか。古市さんが同書に寄せた「弔辞のような」まえがきから、その思いを探ってみたい(以下、引用は『本音』より)。 ***
一度死んだ「小倉智昭」の人生を残しておきたい
「三途の川を見たんだよ。気が付いたら、親父と僕でしゃべってるの」 小倉智昭さんから臨死体験の話を聞いたのは、去年の夏のことだった。久々に「とくダネ!」出演者が集まった食事会で、小倉さんはいつものように飄々と、生死をさまよった経験を語っていた。 もはやその名を説明する必要はないだろう。小倉智昭、1947年生まれの76歳。テレビ東京のアナウンサーとしてキャリアを開始、フリー転身後は「世界まるごとHOWマッチ」のナレーションや「どうーなってるの? !」の司会などで注目を浴びた。 総合司会を務めた「情報プレゼンター とくダネ!」は、1999年から2021年まで続く長寿番組となり、誰もが知る日本を代表する朝の顔だった。 その間に膀胱がんを発症するものの手術は成功、「とくダネ!」勇退後は悠々自適な生活を送っていると思っていた。だが抗がん剤の副作用によって、生死の境をさまようことになったのだという。 一時は意識不明となり、医師にも家族にも、もう駄目かと思われた。 その時に三途の川を見たのだという。尊敬する父親が現れ、三途の川を渡らないかと誘われた。 「俺まだ行きたくないから」 「そうか、お前はまだ行かないのか」 そんな会話を交わしたのだという。 幸いにも小倉さんは危篤状態から復活した。心配されていた後遺症もほとんどなかった。だが大病を患い、臨死体験を経たことで、人生観にも変化があったという。 食事会はお開きとなり、みんなで小倉さんを駅まで見送った。タクシーを勧めたのだが、健康のために電車に乗るといって聞かないのだ。 小倉さんと別れた後、すぐに新潮社の親方こと中瀬ゆかりさんに連絡をした。僕が聞き役となり、小倉さんの本を作れないかという相談だ。 「一度死んだ小倉智昭」の人生を残しておきたいと思ったのである。 実は知名度と活動期間の長さにもかかわらず、小倉さんはほとんど本という形で言葉を残してこなかった。自分には文才がないということで、書籍の依頼は断ってきたのだという。 それはあまりにも勿体ないと思った。その人生は波瀾に満ちているし、聞いておきたいこともたくさんある。 なぜ吃音を持ちながら言葉が淀みなく出てくるのか。台本もメモもなくフリートークをするコツは何か。今だから話せる芸能界の裏話やタブーも、未だに許せないあの人物についても聞いておきたい。そして一度死にかけた人というのは一体、何を思うのか。