昔は“意地悪じじい”だと思ってた「小倉智昭」が意識不明になって…「古市憲寿」が“弔辞”を書いた理由
「意地悪じじい」だと思っていたけど…
僕が小倉さんと初めて会ったのは、2012年秋のことだ。『絶望の国の幸福な若者たち』という本が話題になり、少しずつメディアに出始めた頃だった。 「とくダネ!」に出演してみないかと声をかけられた。もちろん番組の存在は知っていた。だが実は一度、僕はその依頼を断っている。テレビを通して観る小倉さんは、あまりにもアクが強く、とても自分と相性がいいとは思えなかったのだ。 結局、まずはお試しでということでフジテレビへ行くのだが、想像していた小倉智昭とのギャップに驚いたことを覚えている。 本番前の打ち合わせでは、ぼそっと冗談を言ったりするが、基本的には物静か。その日は、中国の反日デモに参加する若者を特集していたが、僕の発言にもじっくりと耳を傾けてくれた。 一緒のエレベーターに乗り、目が合った時なんて、恥ずかしそうに顔を背けられた。所構わずスタッフを大声で怒鳴りつけるような「意地悪じじい」だと思っていたのに、心優しきシャイガイだったのだ。 「とくダネ!」に出演を続けてわかったことだが、とにかく小倉さんは共演者やスタッフに好かれている。テレビでしか小倉さんを知らない人からは「嘘だろう」と思われそうだ。そういえば嫌いな司会者ランキングでも、小倉さんはいつも上位にいた。 もしかしたら仲間思いの性格が、小倉さんをことさら「嫌な奴」に見せていたのかも知れない。 たとえば番組でスタッフがミスをした時も、いつも視聴者に対して謝るのは小倉さんだった。他人に責任を押し付けることがなかった。世間にどう見られるかを気にせず、いつも身近な人を大切にしていた。自分が悪者になってもいいと思っていたのだろう。 嘘がない人だった。知ったかぶりをしなかった。わからないことはわからないと言った。常に純粋な視点で、社会に疑問を持ち続けていた。だから衝突も多かった。偉い人や権威との喧嘩もいとわなかった。 他人に気を遣わせない人だった。番組中も遠慮なく「小倉さん、それは違うと思いますよ」と反論することができた。もちろん、それを根に持つような人ではなかった。そんな小倉さんは、多くの友人や仲間に慕われていた。 ──つい弔辞のような文章になってしまった。