核廃絶を訴えて70年、ノーベル平和賞候補にも名前が挙がる団体が立つ岐路 今後の活動どうなる、取材で見えてきたそれぞれの判断
何度もノーベル平和賞候補となってきた日本の団体が岐路に立っている。広島、長崎の被爆者らでつくる被爆者の全国組織「日本原水爆被害者団体協議会(被団協)」だ。かつては47都道府県全てに参加団体があったが、高齢化による担い手不足などで現在36団体まで減少した。 【写真】原爆開発者映画「オッペンハイマー」日本でも公開
被団協は1956年の結成以来、「二度と被爆者はつくらせない」と約70年間核廃絶を訴えてきた組織だ。長崎以降、3度目の原爆投下阻止にも貢献してきたとされ平和賞候補に名前が挙がってきたが、今後の活動はどうなるのか。惨禍から79年目の夏、各団体を取材すると、それぞれの考えが見えた。(共同通信=大阪社会部原爆平和取材班) ▽「どこかで新しい段階へ」6年前から考えてきた将来 「『いずれ活動を終息させざるを得ない』として2018年から組織の将来を考えてきた」と語るのは、北海道被爆者協会の北明(きため)邦雄事務局次長(76)だ。北明さんは被爆者や被爆2世ではなく、支援者の立場で会に参加している。北海道は来年3月末での解散を決めた。 北海道には、軍に召集中に被爆した道内出身者や、戦後に結婚や就職などでやって来た被爆者がいた。戦後開拓による入植や、本州で差別を受けていた被爆者が、過去のことを気にしないおおらかな道民性を求めて渡ってきた例もあったといい、周辺県よりも人数は多かった。
協会にはピーク時の1990年代、約220人の会員がいた。全国的な寄付活動を展開して1991年に札幌市内に3階建ての会館を建設。広島、長崎に次ぐ、全国3番目の原爆に関する資料館を開設し、被爆の実相を伝える活動に注力した。 しかし今年6月時点で会員は49人。被爆者だけに限ると30人だという。6年かけて協会内で議論。札幌市内の学校法人が会館や所蔵資料を引き受けることで合意したことを受け、解散を決めた。会員の多くが状況を理解し、目立った反対論はなかったという。 北明さんは「被爆者はこれまで70年間核廃絶のためによくやってこられた。年齢を重ねる中、どこかで新しい段階へ移行するというのは自然なこと」と話す。 ▽受け継ぐ2世。精力的な活動で県の支援は手厚くなった 一方で被爆2世への引き継ぎに注力する団体もある。静岡県原水爆被害者の会の鈴木聖子(まさこ)会長(80)は、「会が1世だけで終わることのないよう、2世に頑張ってもらいたい」と期待する。