【日本の高速道路は物流に不向き?】物流「2024年問題」に内航海運へのモーダルシフトが必要な理由
モーダルシフトへのカギは沿岸輸送
日本の海岸線に林立する港湾をインフラとして利用することを前提とすると、フェリー・コンテナ船・RORO船による沿岸輸送に注目する必要があるだろう。そこで、日本の沿海地方を4地方に分類し、その沿海4地方におけるトラック流動が日本の総トラック流動に占める割合を分析してみたのが下表である。 ご注目頂きたいのは、各沿海地方に属する都道府県間のトラック流動を意味する「都道府県間流動」と、各沿海地方に属する東北・関東・近畿等の地域間のトラック流動を意味する「地域間流動」である。 上表の右端の4地方合計を見ると、「都道府県間流動」が16.4%、「地域間流動」が5.8%となっている。フェリー・コンテナ船・RORO船による沿岸輸送が目指すべきが中長距離輸送であることを考えると、筆者は、当該3モードがモーダルシフトのターゲットとすべきは、この16.4%と5.8%の2つの流動をできるだけ多く取り込むことであると考えている。 次に、モーダルシフトを受け入れる側のフェリー・コンテナ船・RORO船による貨物流動をトラック流動の中に置いてみた場合、どの程度の比率になっているのかを分析したのが、下表である。 ご覧の通り、当該3モードの貨物流動の対総トラック流動比率は、4地方合計で「都道府県間流動」が0.167%、「地域間流動」が0.153%となっており、先述の16.4%と5.8%という数字とは、あまりに大きな乖離があるように見える。 では、この大きな乖離を埋めて、フェリー・コンテナ船・RORO船輸送がトラック輸送からのモーダルシフトを取り込むことは、非現実的なのであろうか。
再認識すべき中長期的スタンス
北前船の西廻り航路は、1639年に加賀藩の米100石を大坂へ運んだことから始まったという説があるようである。当時、加賀藩が大坂で換金していた米は平均7万石であったということであり、それを前提とすると、北前船の西廻り航路は0.143%から始まったことになる。 1672年には、加賀藩に加えて、天領である出羽の米も同航路で大坂に運ばれるようになったが、陸路と内陸水運中心であった江戸時代の貨物輸送を海運の方に流れを変えるのに、30年以上の年月が必要であった。 そのように考えれば、モーダルシフトという日本の貨物輸送構造の根幹治療には、江戸時代のように30年は掛けられないとしても、前回の繰り返しになるが、点滴岩を穿つが如き不断の努力による、中長期的なスタンスが不可欠なのである。そのようなスタンスを以て取り組む内航海運事業者が多数現れれば、下の写真に見られる通り、従来から一部で行われていたトラック輸送からフェリー・コンテナ船・RORO船輸送へのモーダルシフトをさらに拡大し、「2024年問題」を乗り越えることは、十分可能だろう。 次回は、内航海運から一旦離れて、モーダルシフトのもう一方の受け入れ先として想定されている鉄道輸送について述べてみることとする。
田阪幹雄