エネルギー小国日本の選択(3) ── 明治の夜明けとエネルギー産業の興り
日本書紀にも登場する石油というエネルギー
石油をめぐる歴史は新潟県に縁が深い。この地に古くから存在し、日本書紀に「天智天皇(626~672)に越の国(現新潟県)から燃える水を献上した」との記述もある。臭水・草生水(くそうず)と呼ばれた。火井(かせい)と呼ばれる天然ガスが噴き出る井戸の遺跡も同県三条市にある。1645年に発見され、「燃える風」と呼ばれていた。 石油精製の発祥は1852年の江戸時代、同県柏崎市で蒸留されたのが最初とされる。蒸留所があった柏崎市半田村は「石油発祥の地」として市の史跡に指定されている。 事業会社としては1888年、「有限責任日本石油会社」が新潟・刈羽に設立され、現在の元売り最大手JXTGホールディングスの系譜が始まった。同年に原油販売や、新潟県沖の海底油田の掘削を始めるなど、事業を本格化させていく。その後、本社を東京・丸の内に移したが、製油工場は柏崎で続いた。 1893年には日本石油のライバルとなる「宝田石油株式会社」が新潟県長岡市に創立。他社に買収攻勢を掛けて成長した。1900年、外資のスタンダード石油が北海道と新潟県での石油開発のため「インターナショナル石油会社」を設立するなど、新潟を中心に産業が成長していった。坂口安吾(1906~1955)が戦後に著した「続堕落論」で「新潟の石油成金(なりきん)」という表現したことにも、新潟が石油で潤っていた様子がうかがえる。 同県の弥彦神社は石油に縁のある神社で、業界人が参拝に訪れる。ある石油開発大手の幹部は「年に一度は訪れる。心が改まり、気が引き締まる」と話す。
石油もまた、当時オイルランプ(石油ランプ)として全国に普及し、照明用として重宝された。灯油の輸入が増え、横浜や神戸で荷受けするといった仕組みも徐々に出来上がっていった。業界の活発化を受け、1891年に石油取締規則が、1905年には鉱業法が施行された。なお、現在石油元売り2位の出光興産の前身、出光商会が福岡・北九州で創業したのは1911年だった。 石炭は、国内での石炭の発見は15世紀。百姓が枯れ葉に火を付けようとしたところ、地表に露出していた石が燃えだしたという「燃える石」の記録がある。本格的な国内の炭鉱開発は、江戸時代に今の福岡県にある筑豊炭田で始まったとされる。 明治時代に入ると、1901年の官営八幡製鐵所の開業も背景に石炭需要が急増し、開発は北海道から九州まで各地で進んだ。明治末期には日本の総人口約5000万人のうち、石炭産業の従事者は15万人に上ったという。長崎市の端島、いわゆる「軍艦島」が海底の炭鉱開発で賑わったのもこの頃からだった。 (つづく)