エネルギー小国日本の選択(3) ── 明治の夜明けとエネルギー産業の興り
地域の気候風土を生かした発電はこの頃からあった。1888年に紡績事業の一環として運用が始まった三居沢発電所(仙台市)は日本初の水力発電で、自家発電の先駆けとも言える。現在は東北電力が管轄し、「三居沢電気百年館」としてPRしている。一方、1892年には琵琶湖の水運を生かした蹴上水力発電所(京都市)が初の商業用発電を始め、現在も関西電力が運転を続けている。 相次ぐ電力会社の誕生を受け、電力業界を取り巻くルールも整備されていった。1891年に保安が目的の電気営業取締規則が作られた。それから20年後の1911年に産業の保護や振興を目的とした旧電気事業法が制定された。この法律により電力会社は更に増え、価格競争などは激しさを増した。 その後、関東大震災による設備への被害も背景に統廃合が進み、大正時代1930年ごろまでに5つの電力会社に集約された。すなわち東京電燈、東邦電力、大同電力、宇治川電気、日本電力だ。ただ、現在の大手電力10社から沖縄電力を除いた9大電力体制となったのは、太平洋戦争後のことである。 なお、現在東日本が50ヘルツ、西日本が60ヘルツと周波数が分かれているのは、東京電燈が当時50ヘルツの発電機を導入したのに対し、大阪電燈などが60ヘルツの製品を使っていた名残である。
100社近くに上ったガス新興企業
電気のアーク灯が登場するより前の1871年、外国人居留地があった横浜市の馬車道にガス局が設置され、1872年に点灯した。 文明開化の象徴として、ガス業界ではこの出来事を重んじ、「ガスの記念日」としている。業界団体の日本ガス協会の入るビルの前や、同じく外国人居留地のあった神戸市のハーバーランドにはモニュメントとしてガス灯が灯っている。1874年には神戸瓦斯が事業を始め、後に大阪瓦斯(現大阪ガス)と合流することとなる。 東京でもやや遅れること、1876年に東京府瓦斯局が設置された。その後の払い下げにより1885年に東京ガスの前身となる東京府瓦斯会社が誕生、創業者は「日本資本主義の父」と呼ばれた渋沢栄一(1840~1931)だった。電力会社と似て、ガス会社も当初は主に照明用のガスを供給するのが使命だった。 用途が広がってきたのは1890年代以降、コンロやアイロン、トースターにストーブと現代の生活家電の原点ともなる品々が輸入され始めてからだ。1905年に現代で言うところの都市ガス供給事業が始まった。当初の供給先の顧客数3000余りに過ぎなかった。 その後、日本で重厚長大産業が盛んとなる中、ガスの需要も高まっていった。1910年に10社だったガス会社はわずか5年後に91社を数えるまでになった。この点は5大会社に集約されていった電力業界と大きく異なっている。