あのマスコットにはモデルがいた!? 今なお愛され続ける『カープ坊や』誕生ヒストリー
カープを象徴するマスコットキャラクターである、『カープ坊や』。1975年に誕生して以来、約50年間もファンに愛され続けている。そんな、『カープ坊や』誕生の秘密を探るべく……『カープ坊や』のモデルとなった有馬和哉さんに、当時の秘話を聞いた。 【写真】今季も話題を呼んだカープの新グッズ ◆「私にとって『カープ坊や』は、縁をつくってくれる存在です」 私が『カープ坊や』のモデルになったきっかけには、父が大きく関係しています。父は旅行会社に勤めていたのですが、旧広島市民球場でのカープ観戦ツアーを担当していたらしく、カープ球団と打ち合わせのためによく球場に出入りしていました。もちろん父は大のカープファンで、幼かった私を、仕事場である球場によく連れて行ってくれていました。 手元に残っている写真を見てみると、当時3歳の私が、青い帽子のユニホームを着て写っているものがあります。これは1973年のデザインで、赤ヘルになって古葉竹識監督になり初優勝した時のユニホームを、球団が特注でつくってくれたものです。父はそのユニホームを私に着せて、自慢げに街中を連れ歩いていました。当時はカープのユニホームを着た子どもなんて珍しい時代ですから、周囲の人たちから「かわいい」と言われ、恥ずかしかった記憶があります(苦笑)。 球場に到着すると、父が仕事をしている間、私はベンチなどに入れてもらい球団のみなさんに面倒を見ていただき、グラウンドでは監督や選手に遊んでもらっていました。父は写真が趣味だったこともあり、その様子をよく撮影していました。『カープ坊や』のモデルとなった写真は、その際に父が撮影したものです。 1975年にカープが初優勝を達成したシーズン途中、球団のマスコットキャラクターである『カープ坊や』が誕生しました。 この年は初の外国人監督であるジョー・ルーツ監督が就任し、帽子の色も赤に変わるなど、さまざまな変革が行われた年です。そしてこの年、カープのマスコットキャラクターの募集があり、『カープ坊や』が誕生しました。聞くところによると、コイをデザインしたものも多かったそうですが、子どもたちに夢を与えるものが良いということで、子どもをイメージした『カープ坊や』が選ばれたそうです。当時、子どもをモチーフとしたプロ野球のマスコットキャラクターは、珍しかったと思います。またチームが遠征時に選手たちの道具を運ぶための専用トラックも導入され、このトラックにも『カープ坊や』を入れて、このマークが全国を駆け巡るようになったそうです。 私が「自分が『カープ坊や』のモデルなんだ」と知ったのは、5歳の時です。毎日のように旧広島市民球場に出入りしていたある日、父に呼ばれてオーナー室に行きました。そこで当時の松田耕平オーナーから「これは君をモデルにしてつくったんだよ」と、『カープ坊や』のステッカーをいただきました。5歳なのですべてを理解していたわけではありませんでしたが、うれしかった記憶があります。