あのマスコットにはモデルがいた!? 今なお愛され続ける『カープ坊や』誕生ヒストリー
◆「『カープ坊や』のおかげでファンの方との輪が広がり、交流が深まりました」 幼少期は、『カープ坊や』の話題になると、友達に「自分がモデルなんだよ」というくらいのものでした。『カープ坊や』のモデルということで、友達の輪が広がっていったのは、得なことだと思っています。 私が『カープ坊や』のモデルとして広く知られるきっかけとなったのは、1999年、カープ創設50周年の時でした。 高校時代の同級生が中国新聞社に勤務していて、『カープ坊や』の特集記事として紹介されたことで公になりました。この記事が出て以降、球場で「『カープ坊や』のモデルの方ですよね?」と声を掛けていただくこともあり、カープファンのみなさんとの輪が広がりましたし、交流が深まりました。 例えば仕事においても、自分から言うことはありませんが、私と営業マンが一緒にいれば「この人は『カープ坊や』なんですよ」と紹介してくれることで、先方も驚かれて話が弾みますし、特に広島では喜んでいただけます。私も得意先と早く関係性を深めることができるので、『カープ坊や』にとても感謝しています(笑)。 もちろん『カープ坊や』が入ったグッズはたくさん持っています。ここ数年は、『カープ坊や』のマンホールもありますよね。「踏むなよ」と冗談で思ったりします(笑)。 『カープ坊や』のモデルという話題で縁ができ、それが長く続いています。私にとって『カープ坊や』は縁をつくってくれる、とても大切な存在です。私自身がさまざまな経験をして成長する上で、『カープ坊や』にすごく助けてもらえています。また私にとってカープというチームは、きっと全国のたくさんのカープファンのみなさんと同じ感覚で、勝ち負けを超えた、ただ愛すべき存在です。 『カープ坊や』が誕生して約50年も愛され続けていて、そこに私が関わっていると考えるとうれしいことです。こうして取材を受けさせていただく度に当時の写真を見ますが、私にとっては父との良い思い出でもあります。とても貴重な経験をさせてくれた両親に、感謝しています。 ちなみに野球は小学生の頃にやっていましたが……その頃までです(苦笑)。娘が2人いますが、私が幼少期に父とキャッチボールをやっていたように、娘が小さな頃はキャッチボールをやっていました。中学になり「ソフトボール部に入る」と娘が言い出したときは本当にうれしかったです(笑)。ちょうどその時期にもう一人のマスコット『カープ女の子』が登場して、娘が「あれ、私だ!」と言っていたのも良い思い出です。男の子の孫が生まれたのですが、野球をやって、『カープ坊や』になってくれるのか? これからの楽しみです(笑)。
広島アスリートマガジン編集部