和歌山県太地町のイルカ漁を告発した映画『ザ・コーヴ』は反日なのか?
<2010年の公開時に上映中止騒動が起きた『ザ・コーヴ』。「プロパガンダ映画」と批判する人は多いが、表現の本質はプロパガンダだ>
僕が監督した『福田村事件』公開前、多くの記者やライターから「もしも劇場に街宣車が来たら」「もしも上映中止運動が過熱したら」などの質問を頻繁に受けた。曖昧な答え方をしていたけれど、おそらくはそんな事態にはならないだろうと内心は考えていた。【森達也(作家、映画監督)】 日本人も日本人に殺された...映画『福田村事件』が描く「普通の村人」による虐殺 上映中止運動が起きる映画の共通項は、(抗議をする)彼らから「反日映画」とレッテルを貼られること。反日映画とは何か。日本国や日本国政府に盾突くこと。意向に沿わないこと。批判すること。 この定義に従えば、当時の日本国の植民統治を批判する『福田村事件』は確かに反日映画ということになる。しかも現与党である自民党は、小池東京都知事と共に朝鮮人虐殺の史実を認めようとしていない。ならばかつてだけではなく現政権への批判にもなる。反日映画の条件は十分に満たしている。 でも上映中止運動は起きないだろうと僕は予想していた。理由は中止運動が起きた映画の系譜を見れば分かる。古い順に挙げる。 『ナヌムの家』ビョン・ヨンジュ監督 『靖国 YASUKUNI』李纓監督 『ザ・コーヴ』ルイ・シホヨス監督 『不屈の男 アンブロークン』アンジェリーナ・ジョリー監督 『主戦場』ミキ・デザキ監督 『狼をさがして』キム・ミレ監督
反日映画の条件とは──
抗議を恐れて日本公開が頓挫しかけた『オッペンハイマー』をこのリストに入れることも可能だが、(説明するまでもなく)監督が日本人ではないことが反日映画の条件なのだ。だから歪(いびつ)なナショナリズムが励起(れいき)する。僕は取りあえず日本国籍を持っているから、(抗議する人たちの)標的になりづらい。 とここまでを書きながら、抗議する人たちの底の浅さに改めて嘆息する。せめて観てから言えよと本音では思うけれど、私は観たくもないし誰にも観てほしくない、との主張をぎりぎり認めるとしても、その「観たくない」基準の(無意識の)前提が「監督が日本人ではない」ならば、それはあまりに浅慮すぎる。 今回取り上げる『ザ・コーヴ』は、和歌山県太地町のイルカ漁を告発するドキュメンタリーだ。2010年の公開当時、抗議を受けて多くの劇場が上映を中止し社会問題となった。 この映画を批判するときに「プロパガンダ映画」という言葉を使う人は多いが、映画も含めて表現の本質は全てプロパガンダだ。その主張の正しさや表現については議論されるべきだが、プロパガンダであることは映画の価値とは関係ない。