【今村翔吾×松井優征・対談】直木賞作家も共感した漫画家の創作論 面白さよりも優先していることとは?
自分が想像したことに資料が寄ってくる
――『逃げ上手の若君』も『塞王の楯』も、日本の戦乱期が舞台の歴史ものと聞いてパッとイメージする「戦う」ではなく、「逃げる」「守る」という動詞を軸に据えています。これらの動詞に注目した理由をお伺いしたいです。 今村 僕はテーマを先に決めて、それに合う時代や舞台、題材を選ぶことがほとんどなんです。『塞王の楯』で言えば、戦争はなぜ起こるのか、戦争を終わらせるのが難しいのはなぜなのか。現代にも通ずるそのテーマを、攻める対守るの「矛盾」の関係から書いてみたいなと思ったんですね。その時に、これは嗅覚としか言いようがないんですが、自分が立つべきは「守る」の側だな、と。守りに特化した集団って、石工の穴太衆ぐらいしかいなかったんです。面白いことに、鉄砲作りに特化した国友衆(くにともしゆう)という職人集団が、穴太衆と同じく近江国を本拠地にしているんですね。調べてみると、国友衆の大砲が確実に使われたと分かっているのって、大津城の戦い(※「愚将」京極高次(きようごくたかつぐ)が城主を務める近江国大津城を巡って行われた、関ヶ原の前哨戦)と関ヶ原の戦いだけだった。それで、大津城の戦いをメインに据えた話にしようとなっていったんです。 松井 僕の場合は、「自分が一個だけ歴史ものを書くとしたら何を選ぶ?」と。強いやつの話は書き尽くされているし、ほじくり返されている。なおかつ、戦って人を殺しまくってというのは、現代的な価値観にもあんまり合わないんですよね。時行は、例えば命令をいっぱい下したような文書も残ってないし、のちのち傘下に入る(北畠(きたばたけ))顕家(あきいえ)軍とかとも普通に仲よくやっているので、おそらく控えめな人間だったのかなと。そういうところから想像を膨らませていって、「逃げ上手」という設定に辿り着いたんです。それでも数人、最低限は本人の手で殺さざるを得ないんですけどね。殺さなくては生きていけなかった時代なので、そこも描きつつという感じです。 今村 二〇年前ぐらいだったら、もっと強いやつが求められていたかもしれませんよね。今の現代人の感覚にマッチしているなと思いました。『塞王の楯』でも、匡介は「守る」なんだけれども、もう一人の主人公と言える京極高次は「逃げる」なんですよ。本能寺の変が起きた時、城を捨てて逃げていますからね。死にたくないからとにかく逃げる。それに対して、昔は男らしくないとか批判がいっぱいあったと思うんですが、今の時代はむしろ共感のほうが大きいと思う。 ―― 史実とフィクションのバランスについては、どのようにお考えでしたか? 松井 僕の場合、南北朝時代のことはほとんど資料が残っていないので、大部分が想像です。歴史監修で本郷(和人(かずと))先生に入っていただいているんですけれども、何を聞いても「そのあたりのことは分かっていないから適当に書けばいいんじゃない?」と返ってくるんですよ(笑)。逆に言えば、すごく自由なんです。 今村 僕は、人に会いに行きましたね。穴太衆は、資料が一切残っていないんです。紙に残さない一族なので。 松井 口伝(くでん)なんですね。 今村 そうなんですよ。だから、現代に伝わっていることを何でもいいから教えてくださいと、一五代目の当主の方に話を聞きにいって。そうしたら、たまたま当代さんのおじいちゃんが、戦国時代以来の天才と呼ばれた人だったんですよ。用意した石を一個も余らせずに石垣を組んだそうなんですが、当代さんいわく、一個余らすのとゼロ個では雲泥の差がある、最初から完成形が見えているとしか思えない、と。 松井 小説にも出てきましたね。 今村 あとは、「天守閣に砲弾の穴が空いた」みたいな資料の一行から、想像を膨らませていく形です。資料が少ない方が自由にやりやすいのは、僕も同じですね。逆に、自分が勝手に想像したことに、資料が寄ってきてくれる時ってありません? 松井 ありますね! 歴史もの特有の醍醐味だなと感じます。 今村 『逃げ上手の若君』で言えば、「えっ、こいつとこいつも同い年やん!」みたいな。 松井 まさにそうです。南北朝時代って時行だけでなく、少年たちが活躍した時代なんですよ。「これ、少年漫画で描けるじゃん」って、主人公を決めた後で確信が芽生えたんです。