「やられた…!」相手を手玉にとる社長の「ズルい交渉テクニック」が実用的すぎた
三田紀房の投資マンガ『インベスターZ』を題材に、経済コラムニストで元日経新聞編集委員の高井宏章が経済の仕組みをイチから紐解く連載コラム「インベスターZで学ぶ経済教室」。第140回は、相手に要求をのませる「ズルい交渉術」を伝授する。 【マンガ】「これって論点のすり替えですよね?」交渉テクニックの裏をかけ! ● 経済記者の熾烈なスクープ競争 保険ビジネスや営業トークの難点を突かれた生保レディの安ヶ平真知子は「保険は早く入れば入るほどお得」と最後の抵抗を見せる。主人公・財前孝史は、契約の是非ではなく、「いつ」に論点をすり替えるのはおかしいと最後の一撃を放つ。 生保レディの真知子が仕掛けたような、問題の枠組み(フレーミング)の意図的なすり替えは、日常やビジネスのシーン、マーケティングやエンターテインメントの世界でもしばしば使われるテクニックだ。駆け出し記者だった四半世紀前に見事に引っかかった体験談をシェアしたい。 当時、大阪で医薬品業界を担当していた私は、某中堅企業のちょっとしたスクープを追っていた。 1面を飾るような大ネタではないが、きっちり抜けば評価されるし、抜かれたり発表に持ち込まれたりすれば大目玉を食らう、そんなレベルのニュースだった。ちなみに日経新聞では経済・産業の重要ニュースを企業自身に発表されてしまったら、他社にスクープ競争で負けたのと同じくらいの失点扱いとなる。 周辺取材でファクトは確認済みで、原稿も書きあがり、あとは記事を本社に送るだけというところまで準備は済んでいた。 最後の仕上げは経営トップに直接ニュースを当てて、「書きますよ」と仁義を切ること。朝一番にタクシーを飛ばして社長の自宅前で張り込んでいると、ハイヤーに乗り込もうと社長が玄関から出てきた。 それまで何度も会っていたので、相手は「なんだ朝っぱらから」と言いつつ、例の件だな、と心当たりがありそうな顔つきだった。そんな時の反応や表情も重要なヒントになる。「まあ乗りなさい」と促され、社長のハイヤーに同乗して会社までの小一時間、社内取材が始まった。いわゆる「ハコ乗り取材」だ。 ● 上場企業社長の交渉術に「してやられた」 私はストレートにつかんでいるニュースについて話して「近々、記事が出ます」と告げた。社長は最初「何も決まっていない」とはぐらかしていたが、こちらの取材が手厚いのを感じ取ると、作戦を変えてきた。 正式に取材を受けて必要な情報をすべて教えるから掲載を来週まで待ってくれ、というのだ。そんな猶予はない、他社も感づいていると拒否すると、「いつまでなら待てるのか」とさらに詰め寄られた。押し問答の末、「ギリギリ、週末までなら」と譲歩した。 「ハコ乗り」を終えて取材センターに行き、キャップに経緯を説明すると、「お前はアホか」とどやしつけられた。「書きます」の通告のはずが「いつ書くか」の交渉に後退しているじゃないか、と。 指摘されて初めて、取材の緊迫したやり取りの間には気づかなかった「してやられた」という気持ちが湧いてきた。さすがは上場企業の社長、若手記者は手玉にとられたのだった。 キャップには叱られたが、ニュースは無事に独自記事となり、社長は関係者と調整する時間が稼げて、何とか丸く収まった。だが、他社に抜かれていたら、と考えると冷や汗もののチョンボだった。 この体験以来、私はフレーミングのすり替えに敏感になった。仕掛けられることにも、自分自身がその手法を利用する際にも。
高井宏章